庄屋村(読み)しようやむら

日本歴史地名大系 「庄屋村」の解説

庄屋村
しようやむら

[現在地名]摂津市庄屋一―二丁目・千里丘東せんりおかひがし四―五丁目・阪急正雀はんきゆうしようじやく

味舌ました郷五ヵ村の一。東は茨木いばらき(現茨木市)への道を境に坪井つぼい村に、北は味舌上ましたかみ村に接し、中央を山田やまだ川が流れる。集落は同川の左岸にあり、また山田村(現吹田市)への道が右岸を通る。文禄三年(一五九四)の八島久兵衛による検地で二二〇石余が高付され(「大田郡内味舌村ノ庄屋村御検地帳」庄屋区有文書)、以後村高は若干の新開分を加えるのみで、江戸時代を通じてほとんど変化しない。

庄屋村
しようやむら

[現在地名]真玉町 庄屋

常盤ときわ村の西方、真玉川右岸に位置する。対岸徳六とくろく村。当地で代々庄屋役・大庄屋役を勤めた野村氏は元禄期(一六八八―一七〇四)に木付系真玉氏の由緒を継ぎ、真玉姓を称している。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高四八七石余で、家数九五のうち本百姓・小百姓四一、隠居・名子・庭屋・牛屋五四、人数男八二(うち名子四)・女一〇〇、牛二九・馬六。正保郷帳では真玉庄に属し、田高一〇九石余・畑高二九石余で、茅山有、日損所、新田有と記す。元禄郷帳では高一五七石余。享保二年(一七一七)の延岡藩領知目録写(牧野家文書)に村名がみえ、延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳(内藤家文書)では高一四七石余、新田一一石余。

庄屋村
しようやむら

[現在地名]大野町屋原やばる 庄屋・つじ

酒井寺さかいじ村の南西、酒井寺川西岸にある。正保郷帳に村名がみえ、田高一四九石余・畑高一二一石余、一万田いちまんだ郷に属する。旧高旧領取調帳では高二八九石余。安永七年(一七七八)には酒井寺組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)

庄屋村
しようやむら

[現在地名]竹田市穴井迫あないざこ

おか城下から肥後へ通ずる街道に沿い、菅生すごう台地への登り口に位置する。正保郷帳では下庄屋村とあり、松本まつもと郷に属し、田方七五石余・畑方四一石余。元禄郷帳では庄屋村とあり、ほぼ同高。弘化物成帳では穴井迫組のうち、村位は中、免九ツ七分、田一〇三石余(九町二反余)・畑九石余(一町六反余)・屋敷二石余(二反余)で、開田四斗余(二反余)・開畑一斗余(二反余)がある。

庄屋村
しようやむら

[現在地名]浜松市新貝町しんがいちよう

新貝村の北、鶴見つるみ輪中の西縁に位置。当村は東西に長い長方形で、集落の北側に土塁状の高まりがみられる。松平忠頼領郷村帳に正屋村とみえ高一〇石余、畑一町二反余。

庄屋村
しようやむら

[現在地名]朽木村生杉おいすぎ

針畑はりはた川最上流部にあり、生杉村に隣接する。寛永石高帳・慶安高辻帳・元禄郷帳では生杉村とともに高が記される。天明村高帳では単独で記され、高四二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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