武子村(読み)たけしむら

日本歴史地名大系 「武子村」の解説

武子村
たけしむら

[現在地名]鹿沼市武子

姿すがた川の支流、武子川の上流右岸の段丘上に位置し、南は上府所かみふどころ村、東は河内かわち古賀志こがし(現宇都宮市)栃窪とちくぼ村、西は富岡とみおか村、西端を壬生みぶ通が南北に走る。慶安郷帳に村名がみえ、田二七二石余・畑一五〇石余。寛永一二年(一六三五)から阿部重次領となり、慶安元年(一六四八)武蔵岩槻藩領。元禄郷帳では日光領とあるが、元禄一四年(一七〇一)の日光領目録には村名はみえない。延享三年(一七四六)旗本藪領となり、同知行地の久野くの(現上都賀郡粟野町)・西鹿沼・富岡根室ねむろ(現今市市)・古賀志、当村の六ヵ村は藪氏の一行政単位をなし、日光組六ヵ村と称された。


武子村
たけしむら

[現在地名]市原市武士たけし

新堀にいほり村の東に位置する。史料上は武士竹子・建市とも。四種類の鐙瓦出土により古代寺院を想定、武士廃寺とするが、瓦窯跡の可能性もあるという。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に武士村とみえ、高一四四石。寛永三年(一六二六)知行宛行状では武士村四〇石余が旗本永井領。正保国絵図でも武士として高一四七石余。元禄郷帳では武子村。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では武士村として高一八〇石余で家数三七、旗本榊原・川口・永井三氏の相給で、ほかに与力給知。旧高旧領取調帳では幕府領一八石余と、榊原領六〇石余・川口領二一石余・永井領四〇石余のほか、与力給知六二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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