出羽三山(読み)デワサンザン

デジタル大辞泉 「出羽三山」の意味・読み・例文・類語

でわ‐さんざん〔では‐〕【出羽三山】

山形県にある月山がっさん羽黒山湯殿山の総称。古来、修験道の聖地。

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精選版 日本国語大辞典 「出羽三山」の意味・読み・例文・類語

でわ‐さんざんでは‥【出羽三山】

  1. 山形県中央部、出羽山地の南端にある三つの山、月山・湯殿山・羽黒山の称。中世以後、山岳信仰の対象となり、修験道の道場が開かれ、三山信仰が高まった。磐梯朝日国立公園の一部。

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日本歴史地名大系 「出羽三山」の解説

出羽三山
でわさんざん

霊地としての月山・羽黒山・湯殿山の総称。地理的にみれば月山(一九七九・五メートル)は山形県のほぼ中央部に位置する火山で、朝日あさひ山地の北部、出羽丘陵の南限にあたり、東部の内陸部と西部の庄内地区とを分断する。湯殿山(一五〇〇メートル)は月山南西に位置する同山の一支峰で、間にうばヶ岳を挟んで月山と連山をなす。羽黒山は月山の北方、同山が庄内平野に裾野を落す丘陵地の一峰で、標高は四一九メートルと低いが、庄内平野中央部からは最も目立つ端山であり、宗教的には三山の中心であった。出羽三山の開山については崇峻天皇の第三皇子蜂子皇子(参弗理)蘇我馬子の追跡を逃れて、船で日本海を北上し、由良ゆら(現鶴岡市)に上陸して三本足の烏に導かれて羽黒山に登り、次いで月山と湯殿山を開いたというのが最も知られている。蜂子皇子はよく諸人の病苦を救ったので能除仙とよばれ、その死後五〇年ほどを経て役行者が羽黒山に来て能除仙の法を継ぎ、大和金峯きんぶ山を開いて大峰修験の祖となったとする。これは羽黒山の開山年代を大峰山のそれより早くし、権威付けしようとしたために生れた伝承である。

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改訂新版 世界大百科事典 「出羽三山」の意味・わかりやすい解説

出羽三山 (でわさんざん)

山形県のほぼ中央部,朝日山地の北端部に位置する月山(がつさん)(1984m),湯殿山(1500m),羽黒山(436m)の三山をあわせていう。月山と湯殿山は近接しているが,羽黒山は両山の北約20kmに位置する。古くから修験道を中心にした信仰の山として開け,近世の信仰登山は東日本一帯の〈カスミ〉と呼ばれた檀那場組織を通じて信者を講中の形式で集めて行われ,手向(とうげ),本道寺,岩根沢などの羽黒山中腹の宿坊集落で宿泊,先達の案内・指導により参詣した。1689年(元禄2)松尾芭蕉も6月3日羽黒山,8日月山,9日湯殿山と足を運んでいる。羽黒山頂には三山を合祀する出羽神社がある。現在は,羽黒山を経て月山八合目までバスが通じ,南は姥ヶ岳直下までリフトが通じている。磐梯朝日国立公園に属する。
執筆者:

羽黒山,月山,湯殿山が出羽三山に当てられたのは中世末から近世初頭にかけてのころであり,それ以前には羽黒山,月山に葉山を加えて三山とする場合や,葉山の代りに鳥海山を加える場合もあった。湯殿山を加えた出羽三山の成立は,三山の地理的関係,戦国時代以降六十里越街道の重要度が増し,湯殿山がその街道沿いにあったことのほか,修験者たちの解釈によるものである。羽黒修験(羽黒派)の解説では,羽黒山の本地を観世音菩薩,月山を阿弥陀如来,湯殿山を大日如来とし,羽黒山で現世安穏を祈り,後生極楽・往詣浄土を修め,月山で未来成仏の確証を得るとともに凡聖同居の関を超えて湯殿山の密厳浄土に至り,即身成仏の悟りを得ることができるとされ,湯殿山は総奥の院と位置づけられている。

 三山の中で歴史上最も早い時期に登場するのは月山で,《延喜式》に名神大社としているように,古い時代においては三山信仰の中心であった。しかし羽黒山も御手洗池(鏡池)から出土した銅鏡の大半が平安・鎌倉時代のものであることからして,中世初頭には修験の一大勢力が形成されていたと考えられる。一方,湯殿山は空海の開基伝承を伝え,独自の展開をみせている。寛永年間(1624-44)羽黒修験が天台宗の東叡山寛永寺の支配を受け,湯殿山を支配下におさめようとしたために,湯殿山の真言系四ヵ寺と争いを起こしている。近世には湯殿山が最も重視されており,それは各地の出羽三山碑や,湯殿山の縁年に当たる丑年に参詣者が増大していることでも知りうる。
出羽神社
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出羽三山」の意味・わかりやすい解説

出羽三山
でわさんざん

山形県中央部、出羽山地最南端を占める月山(がっさん)(1984メートル)、湯殿山(ゆどのさん)(1500メートル)、羽黒山(はぐろさん)(414メートル)の総称。古来、修験道(しゅげんどう)の聖地として知られた。室町末期までは羽黒山、月山、葉山(はやま)(1462メートル)を三山と称し、湯殿山を総奥の院といった。三山参りが盛んになったのは江戸期に入ってからで、羽黒(手向(とうげ))、大網(おおあみ)、注連掛(しめかけ)、肘折(ひじおり)、岩根沢、本道寺、大井沢の七口の登拝口があった。磐梯(ばんだい)朝日国立公園の最北部を占める。

[中川 重]

『『出羽三山・葉山』(1975・山形県総合学術調査会)』

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百科事典マイペディア 「出羽三山」の意味・わかりやすい解説

出羽三山【でわさんざん】

山形県中部の羽黒山月山(がっさん),湯殿山の総称。出羽三山神社があり,古来修験道場として有名。磐梯朝日国立公園に属し,羽黒山へは鶴岡市からバス,湯殿山,月山へは南麓に通じる国道112号により鶴岡市からバスが通じる。
→関連項目修験道内藤正敏六十里越(山形)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出羽三山」の意味・わかりやすい解説

出羽三山
でわさんざん

山形県中央部にある月山 (1984m) ,湯殿山 (1500m) ,羽黒山 (414m) の3山をいう。中世以来3山とも山岳信仰の対象で山伏の修験道場である。月山は山頂に月山神社をまつり,手向 (とうげ) には宿坊が多い。弥陀ヶ原を中心にクロユリミヤマウスユキソウなど 130種ほどの高山植物が咲き乱れる。火山で頂上付近には大雪原がある。ここの夏山スキーは有名。湯殿山は月山の南西山腹の一部で,農業の神として湯殿山神社をまつるが,姥ヶ岳 (1670m) 中腹から湧出する温泉を神体とし社殿はない。羽黒山は月山表参道の北に連なる丘陵で,山頂には出羽 (羽黒) 神社,三山の合祭殿があり,出羽三山関係の資料を陳列した歴史博物館もある。山内の五重塔は国宝,黄金堂は重要文化財,参道のスギ並木は特別天然記念物に指定されている。出羽三山は磐梯朝日国立公園に属する。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「出羽三山」の解説

出羽三山
でわさんざん

山形県のほぼ中央部に位置し,最高峰の月山(がっさん)(標高1984m)と羽黒山・湯殿(ゆどの)山の3山の総称。三山はもと熊野三山に擬して,羽黒山・月山・葉山であったが,戦国期に葉山が湯殿山にかわったとされる。三山登山は平安時代から始まったが,一般民衆が道者(行者)として三山参りをしたのは室町時代以後で,江戸時代に全盛をみた。登り口は7口あり,それぞれの口に寺があって,道者の宿泊・祈祷・先達などを務めた。

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事典・日本の観光資源 「出羽三山」の解説

出羽三山

593年、崇峻天皇の御子・蜂子皇子が出羽国に入って三山を開き、羽黒派古修験道の開祖となった。月山神社・湯殿山神社・羽黒山神社の三社を出羽三山神社という。
[観光資源] 月山 | 羽黒山 | 湯殿山

出羽三山

(山形県鶴岡市・西村山郡西川町・東田川郡庄内町)
日本三大修験道場」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の出羽三山の言及

【月山】より

…山形県中央部にある火山。羽黒山湯殿山とともに出羽三山とよばれる。標高1979.5m。…

【納骨】より

…そのような霊場信仰のある山には,おのずから修行者が住みやがて住坊が霊場寺院となるから,納骨はその霊場寺院に納める形になる。しかし山に納骨した風も出羽三山の月山(がつさん)に見られ,月山では山頂(阿弥陀如来をまつった)に納骨していた。明治初年の神仏分離以来それを禁止したところ,登山者はかってに山頂の月山神社周辺や9合目の賽の河原に埋骨していくので,現在は神社境内に祖霊社を設けて,神官が納骨と祖霊供養を受け付けている。…

※「出羽三山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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