朝日日本歴史人物事典 「武田国信」の解説
武田国信
生年:嘉吉2(1442)
室町時代の武将。信繁の3男。治部少輔,のち 大膳大夫。文明3(1471)年兄信賢の死後,若狭(福井県)守護職を継ぐ。同6年信賢が一時得ていた丹後(京都府)守護職を一色義春に返させられたのを不満として丹後に兵を派遣したが,敗れる。国信はこのとき戦死した重臣逸見宗見を深く悼んで出家し,宗勲(光禄)と称した。宗祇と親交を持つなど兄同様連歌や和歌に関心を寄せ,『新撰菟玖波集』に11首が入る。また,京都北白川の邸宅では連歌会や犬追物をしばしば催し,武家故実家としての基礎を築いた。<参考文献>『小浜市史/通史編』上
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報