20世紀日本人名事典 「武田文吾」の解説 武田 文吾タケダ ブンゴ 大正・昭和期の騎手・調教師 日本調教師会名誉会長。 生年明治40(1907)年2月19日 没年昭和61(1986)年12月3日 出生地北海道江別村大字篠津(現・江別市) 主な受賞名〔年〕勲五等双光旭日章〔昭和53年〕 経歴16歳で競馬界に入り、大正9年豊橋競馬でデビュー。21歳の時京都の伊助厩舎に移り、以来関西競馬界の花形となり、21年、22年と菊花賞を連覇。24年引退し、翌25年調教師となる。39年シンザンでさつき賞、ダービー、菊花賞に勝って戦後初の三冠を達成、翌40年には天皇賞、有馬記念も制した。51年からは日本調教師会会長もつとめた。また福永洋一、栗田勝ら名騎手を多数育てた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田文吾」の解説 武田文吾 たけだ-ぶんご 1907-1986 大正-昭和時代の騎手,調教師。明治40年2月19日生まれ。13歳で競馬界にはいり,騎手として昭和21・23年菊花賞,22年桜花賞を制した。25年調教師となり,史上初の5冠馬シンザンなどの名馬を手がけ,福永洋一,栗田勝らの騎手を育成。佐藤紅緑に俳句をまなび,牧人と号した。昭和61年12月3日死去。79歳。北海道出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「武田文吾」の解説 武田 文吾 (たけだ ぶんご) 生年月日:1907年2月19日大正時代;昭和時代の調教師;騎手。日本調教師会会長1986年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by