武田鶯塘(読み)タケダ オウトウ

20世紀日本人名事典 「武田鶯塘」の解説

武田 鶯塘
タケダ オウトウ

明治〜昭和期の俳人,記者,小説家



生年
明治4年10月10日(1871年)

没年
昭和10(1935)年5月31日

出生地
東京

本名
武田 桜桃四郎(タケダ オトシロウ)

別名
別号=桜桃,修古庵

学歴〔年〕
改玉社中

経歴
明治25年山岸荷葉(硯友社派)らと「詞海」を発行。28年博文館に入り「太陽」「文芸倶楽部」「少年世界」の編集に従事、巌谷小波や江見水蔭らの下で助筆、「中学世界」でも執筆選評、少年文の言文一致体に貢献した。その後毎日電報、大阪毎日新聞、中外新報などの社会部長を務め、俳句欄を担当した。俳句は紅葉らの紫吟社に学び、大正2年小波らの賛助俳誌南柯」を創刊主宰。「俳諧自由自在」のほか自撰句集「鴬塘集」がある。小説も「文芸倶楽部」などに執筆。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田鶯塘」の解説

武田鶯塘 たけだ-おうとう

1871-1935 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,俳人。
明治4年10月10日生まれ。武田敬孝(ゆきたか)の4男。博文館で雑誌「少年世界」「太陽」などを編集し,のち「毎日電報」「中外商業新報」などの社会部長を歴任。俳句は尾崎紅葉の紫吟社にまなび,のち俳誌「南柯」を発刊,主宰した。昭和10年5月31日死去。65歳。東京出身。本名は桜桃四郎(おとしろう)。別号に桜桃。句集に「鶯塘集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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