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通信内容を電気通信手段で伝送し、紙などに印刷して配達するサービス。電信といわれたこともある。電話のように音声ではなく文字などの記録が届く点と、利用者が設備をもたなくても利用できる点が他の電気通信サービスと異なる。電報で送られた通信内容をさすこともある。手軽に利用できる簡易性、受取人に速く届く迅速性、記録が紙面に残る証拠性といった特徴をもつ。電気通信手段としてはもっとも早くから利用された。
[笠井哲哉]
電報は、モールス符号の発明者として知られているアメリカ人S・F・B・モースが1837年に作製した電信機をもとにして、政府、報道、鉄道などの業務用として普及し、さらに一般の人々にも広く利用されるようになった。アメリカでは民営事業として始まったが、多くの諸国では国営事業として経営されてきた。日本では1870年1月26日(明治2年12月25日=旧暦)に東京―横浜間で国内電報の取扱いが政府の手で始まり、1871年には長崎―上海(シャンハイ)間および長崎―ウラジオストク間で国際電報の取扱いが大北(たいほく)電信会社(本社デンマーク)によって始められた。当初は妨害もあったが、その後、国家近代化に不可欠な通信網の一部として急速に全国へ普及した。電報事業の経営は、政府直営から日本電信電話公社(現、日本電信電話株式会社グループ)と国際電信電話株式会社(現、KDDI)の経営の時代を経て、両社の後継会社のみが提供できるものとされている。
[笠井哲哉]
電報の種類には、通常電報(一般電報、慶弔電報)のほかに、一定の文例のみを送ることができる緊急定文電報、船舶との間で使われる無線電報があったが、2023年(令和5)1月に緊急定文電報と無線電報はサービスを終了した。
電報の発信方法としては、取扱い窓口に申し込むほか、電話、ファクシミリ(2023年1月に受付終了)、インターネットを通じて発信することもできる。
初期の電報は、電気信号でモールス符号を送り、受信側では音の長短を文字や数字に翻訳して配達した。その後、文字などに対応する穴をあけた紙テープを利用して電気信号を送る方式にかわった。さらに、電報の受付と送信を同時に行い、紙テープが不要になるとともに、漢字を使った横書きの定例文も送ることができるようになった。また、電気信号を送る方法として最初は有線電気通信が使われたが、のちには無線通信も使われるようになり、同軸ケーブル、光ファイバー、衛星通信なども使われている。
電報は緊急通信手段の代表とされていたが、電話、ファクシミリ、データ通信など他の電気通信サービスの普及に伴い、利用数が大幅に減少している。また、利用の内容では慶弔用のものが大部分を占めている。
電報事業では、中継交換、処理システムの自動化などを通じて、他メディアとの融合が進められている。また、電報を開くとメロディが聞こえてくるメロディ電報や、押し花入り電報など付加価値の高いものも利用できるようになっている。
[笠井哲哉]
2003年(平成15)4月の信書便法施行に伴い、電話やインターネット等により受け付けたメッセージ等を印刷し、台紙に添付などして宛先まで配達する電報類似サービスを提供する、特定信書便事業者が参入している。
[笠井哲哉]
『総務省編『情報通信白書』各年版(ぎょうせい。平成12年版までは郵政省編『通信白書』)』
公衆向けの記録方式による電気通信サービスの一種。公衆から依頼された電報文は通信士によって電報中継網に入力され,それを受信した電報局によって受取人の家まで配達される。もっとも,ほとんどの家庭に電話が普及するようになったので,電報の受付や配達にも電話が用いられることが多くなった。電報はメディア特性として,手軽に発信できるという簡便性,受取人にすぐ届くという迅速性,記録として残るという証拠性など,多くの優れた点を有していたことから,他の電気通信サービスが未発達の時代においては重要なコミュニケーション手段であった。しかし,その労働集約的特性ゆえに,電話,ファクシミリ,電子メールといった他の近代的なメディアに比較してコストが割高となり,日本のみならずほとんどの先進工業国で電報の経営状態が悪化している。
電報は1845年,アメリカの画家であり,モールス符号の発明者であったS.F.B.モースによって発明された。モールス符号による電報の事業化は,その優れた簡便さによって,しだいに軌道に乗ることとなった。とりわけ,当時発展途上にあった鉄道の運営にとって,電報は不可欠な通信手段であった。アメリカでは電報の事業化をめぐって国営か民営かの検討が加えられた結果,民営にゆだねられることとなった。全国各地に電信会社が設立され,熾烈(しれつ)な競争が展開された。その過程で,企業の買収が重ねられ,ついにウェスタン・ユニオン電信会社の独占体制が築かれていった。ヨーロッパ諸国においても,電報は急速に普及していったが,その事業の運営は長い間国の手によって行われてきた。
日本の電報サービスは,1854年(安政1)にペリー提督が幕府に電信機を献上したのをきっかけに,明治政府によって70年1月26日(明治2年12月25日)東京~横浜間で公衆電報の取扱いが開始された。政府はさらに軍事上の目的から,いち早く電信網を全国に張りめぐらした。このように国の手で始められた電報サービスは,1952年から電話事業とともに日本電信電話公社(現,日本電信電話(株))に引き継がれた。
日本における電報の利用動向をみると,そのピークは1963年度の9461万通であるが,1950年代~60年代前半の総通数は8000万通台で一般電報の割合が8~9割を占めていたのに対し,ここ10年ほどは,総通数は4000万通前後で安定しているものの,儀礼的な慶弔電報が全体の9割を占めている。このような電報の利用状況の変化を反映して,電報事業の収支状況はますます厳しくなっている。その改善のため,これまでにも電報サービスの近代化が進められてきた。まず1972年には,通常電報について市内電報,翌日配達電報の廃止,特別電報について模写電報などの廃止,さらに特使配達,返信料前払い,局留などの特殊取扱いや付帯サービスを廃止するとともに,料金を改正した。これにより,複雑な電報サービスが簡素化され,かつ収支も値上げによって若干改善された。しかし,人件費等の高騰で経営状態が再び悪化したため,76年にはさらに制度を簡素化し,大幅に料金を値上げするなどの措置が実施された。他方,郵政省が全国主要都市を結んで電子郵便を提供するなど,電報を取り巻く環境は変化しつつあり,そのあり方を見直すべき状況は続いている。
電報事業近代化の動きは欧米先進工業国においても同様に活発である。アメリカではウェスタン・ユニオン電信会社が郵便公社と提携して1972年以来メールグラムと呼ばれる電子郵便サービスサービスを提供している。また,郵便公社はコンピューターを利用した電子郵便ECOMを推進している。このような動きはヨーロッパ諸国でもみられる。その結果,電報の利用はさらに減少しつつあり,ついにイギリスでは82年電報を廃止して,テレタイプによる記録通信サービス(テレメッセージ)に代替する措置をとった。電報の近代化は種々の形で今後も展開されていくものとみられる。
→電気通信
執筆者:小松崎 清介
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…これは54年(安政1)にペリーがモールス電信機を将軍に献上するより5年も前のことであった。事業としての電信は,外国ではアメリカにおいて1845年にニューヨーク~ボルティモア間の実用電信に始まるが,日本では70年(明治2)に東京~横浜間で公衆電報の取扱いを開始した。電報はその後,95年G.M.マルコーニの無線電信の発明,1910年ウェスタン・エレクトリック社の調歩式印刷電信機の発明など新たな通信技術の導入により,各国とも外交,産業をはじめ国民の日常生活に至るまでのあらゆる面で重要,緊急時の通信手段として利用されてきた。…
※「電報」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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