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武者小路実陰 むしゃのこうじ さねかげ

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美術人名辞典の解説

武者小路実陰

江戸中期の歌人・公卿。京都生。武者小路公種の養子となり従一位権大納言に累進する。和歌は後西天皇より古今伝授を受け、霊元天皇の寵深く柿本人麿・紀貫之・藤原定家藤原実隆と共に古今五歌人と賞される。歌論『初学考鑑』、家集『芳雲和歌集』、門人似雲の聞書『詞林拾葉』がある。元文3年(1738)歿、78才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

武者小路実陰 むしゃのこうじ-さねかげ

1661-1738 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう),歌人。
寛文元年11月1日生まれ。西郊実信の子。武者小路公種(きんたね)の養子。元禄(げんろく)8年従三位。霊元上皇より古今伝授をうけ,中御門(なかみかど)・桜町天皇2代の和歌師範となった。霊元院歌壇の代表的歌人で,弟子に似雲(じうん)らがいる。元文3年従一位,准大臣にすすみ,同年9月30日死去。78歳。歌論集に「初学考鑑」,家集に「芳雲集」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

武者小路実陰

没年:元文3.9.28(1738.11.9)
生年:寛文1.11.1(1661.12.22)
江戸中期の歌人。30日没とするのは発喪の日をいうか。西郊実信の子。武者小路公種の養嗣となる。従一位准大臣。三条西実条血を引く実陰は若年から歌才に富み,霊元上皇の大きな期待を受けて精進,上皇をして人麻呂,貫之,定家,三条西実隆と比肩せしむるほどの高い評価を得た。霊元院歌壇の重鎮として中院通茂,清水谷実業と共に活躍した。晩年は桜町天皇を指導した。家集『芳雲集』,歌論『初学考鑑』,門人似雲の聞書『詞林拾葉』がある。<参考文献>鈴木淳「武者小路家の人々」(『近世堂上和歌論集』)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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