( 1 )平安末期から鎌倉時代にかけて六条家や御子左家(二条家)などで訓釈についての異説がそれぞれ伝えられていたが、室町時代にはいって形式的にも整えられて本格化し、頓阿、東常縁(とうのつねより)、宗祇、三条西実隆、細川幽斎など二条家の説をついだ二条家伝授が権威を持って伝えられていった。このほかにも宗祇から肖柏に伝えられた堺伝授、肖柏から林宗二に伝えられた奈良伝授、幽斎から智仁親王に伝えられた御所伝授などが有名。
( 2 )のち、しだいに瑣末化、形骸化し、三木三鳥などのように無内容なものを秘事として切紙という小紙片に記して伝えられるようになり、江戸時代になってからは、あまり顧みられなくなった。
《古今和歌集》に関する秘伝の授受。中世の学問芸能では,特に重要な部分を秘伝として伝承することが多かった。歌学においては《源氏物語》や《伊勢物語》などの秘伝が伝えられたが,その中で最も権威をもっていたのが古今伝受である。《古今和歌集》は和歌の規範とされていたため早くからその解釈に説が分かれ,六条家や御子左家(みこひだりけ)など歌道の家々には,それぞれの解釈が秘伝として伝えられていた。室町時代に入って二条家の末流である東常縁(とうのつねより)が,東家に伝わる秘伝のほかに頓阿の流れをくむ尭孝の秘伝をあわせて,いわゆる古今伝受の原型をつくった。常縁はこれを連歌師の飯尾宗祇に相伝し,以後この系統が古今伝受の正当とみなされ尊重されてゆく。この後,宗祇はこれを三条西実隆,近衛尚通(ひさみち),牡丹花肖柏などに相伝し,ここで古今伝受は三流に分かれる。すなわち,実隆と尚通に相伝された古今伝受は,そのまま三条西家,近衛家において受け継がれ家の秘伝となり,肖柏に相伝された古今伝受は,宗訊,宗珀など連歌師に伝えられ堺伝受,奈良伝受となっていった。ところが,三条西実隆の孫実枝は,その子公国と年齢が離れていたため,細川藤孝(幽斎)に古今伝受を相伝した。幽斎は三条西家の秘伝のほかに,近衛家の秘伝や堺伝受をも併せ,八条宮智仁(としひと)親王に伝えた。智仁親王はこれを後水尾天皇に相伝し,以後,いわゆる〈御所伝受〉となり,宮中を中心に継承されてゆく。
このように古今伝受が受け継がれてゆく間,内容とともに相伝方法も継承され,常縁から宗祇への古今伝受にならって次のごとく相伝するのが一般であった。まず秘伝を守ることを誓う誓状を提出してから,講釈が行われる。講釈は仮名序から奥書に至るまで《古今和歌集》の全体にわたり,講釈回数は30回を超えることもあった。和歌の講釈は1首ごとに行われ,歌人の伝記と名前の読み方や,難解な語句の説明,和歌の解釈・批評のほか,清濁をはじめとする読曲(よみくせ)も相伝された。弟子は聴講しながら筆記し,講釈終了後に,筆記した聞書を整理して師の校閲を受け,講釈の聞書であることの証明を受けた。その後最奥の秘伝である切紙(三木三鳥(さんぼくさんちよう)など)を授与され,古今伝受が終了する。だが,後世に古今伝受の名が有名になると,古今伝受の主要な部分である講釈を省略して切紙のみを授受したいかがわしい古今伝受も行われ,識者の批判を受けたこともあった。
→口伝
執筆者:小高 道子
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歌学用語。『古今和歌集』の解釈を中心に、歌学およびそれに関連する諸説を、口伝(くでん)、切紙(きりかみ)、抄物(しょうもつ)によって、秘伝として師から弟子へと伝えること。広義には、中世前期から行われた歌道の伝授をも含めていうが、狭義には、室町中期以降の伝授形式が定まって、二条宗祇(そうぎ)流、二条堯恵(ぎょうえ)流が成立してからをいう。
平安末期から、歌の解釈や詠歌法、歌会の方式などをめぐって、歌人たちがそれぞれに伝承、家説を誇示するようになった。鎌倉時代になると御子左(みこひだり)家の覇権が確立したが、やがてその嫡流たる二条家の流れと、庶流の京極(きょうごく)家、冷泉(れいぜい)家を含む反二条家の流れとに分かれ、勅撰(ちょくせん)和歌集の編集権なども絡んで歌道伝授も多様な様相をみせるようになる。南北朝時代に二条家が断絶するが、その流れをくむ二条流が歌道の主流であり続け、室町中期には、歌学を神道、仏教によって基礎づけるとともに、その伝授形式を確立した二条宗祇流、二条堯恵流により、古今伝授が成立した。宗祇流では卜部神道(うらべしんとう)との結び付きがみられ、堯恵流では天台教理との結び付きが顕著である。
宗祇流は、近衛(このえ)家、三条西家などに伝えられ、三条西家から細川幽斎、智仁(としひと)親王を経て後水尾(ごみずのお)天皇、さらに歴代天皇、上層公家(くげ)に伝えられて、御所伝授として確立し、近世を通じて権威を保った。この派からは早く宗祇から伝受した肖柏(しょうはく)を通じて町衆に流布した堺(さかい)伝授が派生し、また、近世では、幽斎から伝受した貞徳(ていとく)などを通じて武家、町人層に流れて地下(じげ)伝授を派生し、町人文化の形成に寄与する。近衛家に伝わった流れは、近世初期に断絶した。堯恵流は、後柏原(ごかしわばら)天皇や青蓮院(しょうれんいん)に伝えられたが、よい後継者を得られず、中世末期に断絶した。
古今伝授は、思想史や花道、茶道、書道などの文化総体のなかに位置づけた評価を必要とするものである。
[新井栄蔵]
『横井金男著『古今伝授の史的研究』(1980・臨川書店)』
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中世後期に行われた歌道伝授の一形式。「古今集」を講釈し,その注説の重要な部分を切紙(きりかみ)として示し,これに古注・証状・相承系図を付して伝授した。形式化するのは室町時代。15世紀後半には,二条流を尭孝から伝授された尭恵(ぎょうえ)流と,東常縁(とうつねより)から伝授された宗祇流の2流があった。宗祇流は宗祇が近衛尚通(ひさみち)・三条西実隆・牡丹花肖柏らに伝授。三条西実枝(さねき)(実澄)より伝授された細川幽斎(藤孝)が八条宮智仁(としひと)親王に伝授し,さらに親王から後水尾(ごみずのお)上皇に伝授され,御所伝授が成立した。細川幽斎から伝授された松永貞徳や,貞徳に師事した北村季吟らの流れをくむ地下(じげ)伝授の諸流もあった。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…醍醐天皇の詔により撰ばれた最初の勅撰和歌集。略称は《古今集》。20巻。古今とは〈いにしえ〉〈いま〉の歌の集の意と,後世の人々が,和歌が勅撰された延喜の時代をいにしえの和歌の聖代と仰ぎ見るであろう,の意を兼ねる。流布本では巻首に仮名序,巻尾に真名(まな)序を付し,歌数は1111首(重出歌1首を含む)。長歌5首,旋頭(せどう)歌4首を含むが,他はすべて短歌。分類は春,夏,秋,冬,賀,離別,羈旅(きりよ),物名,恋,哀傷,雑,雑体(長歌,旋頭歌,誹諧),大歌所御歌とする。…
…宗祇,肖柏らから《源氏物語》《伊勢物語》などの古典,桃源瑞仙から《東坡詩》などの講釈をうけるなど勉学にはげみ,同好の士を集めて研究会もひらき,先人の研究を集成して実隆自身も《源氏物語》以下日本古典や儒学をたびたび講義した。また宗祇からいわゆる古今伝受(授)(こきんでんじゆ)をうけ,これを子の公条に伝えた。実隆はまた和歌・連歌にもすぐれ,《新撰菟玖波集》の編纂に協力した。…
…中国,荀子の倫理説の中心概念。《荀子》の〈性悪篇〉には〈人の性は悪なり,その善なる者は偽なり〉と説く。偽とは,作為のことで,後天的努力をいう。人は無限の欲望をもち,放任しておけば他人の欲望と衝突して争いを起こし,社会は混乱におちいるであろう。放任しておくと悪にむかう人の性,それは悪といわざるをえない。性の悪なる人間を善に導くためには,作為によって規制しなければならない。先王が礼を作ったのは,人の欲望を規制して社会に秩序を確保するためであった。…
…室町中期の武将,歌人,歌学者。本姓は平。別称は東野州(とうやしゆう)。法号は素伝。美濃国(岐阜県)の人。代々二条派の歌人であった東家に伝わる歌学を学び,さらに頓阿の流れをくむ尭孝法印に師事して,当時の二条派歌学を集成した。1471年に連歌師宗祇に《古今和歌集》を講釈し,秘説を相伝した。いわゆる古今伝授であり,宗祇が講釈の聞書を整理したのが《古今和歌集両度聞書》である。そのほか,《新古今和歌集》の注釈が細川幽斎により加筆され《新古今和歌集新鈔》となるなど,その説は二条派の注釈書に継承された。…
※「古今伝授」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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