…銚子沖から相模湾,伊豆諸島,志摩大王崎沖に分布し,水深50~200mの岩れき底にすむ。 1844年(弘化1)に武蔵石寿(むさしせきじゆ)が《目八譜(もくはちふ)》に図説し,エビスガイの老大成したものとしてオキナエビスの名を与えたのが最初で,75年に東京医学校(現,東京大学医学部)の動植物学の教師であったヒルゲンドルフF.M.Hilgendorf(1839‐1904)が江の島のみやげ物屋で発見し,ドイツへ帰国後77年に学界へ発表した。この原始的な珍しい種が日本に産することで有名となり,イギリスの大英博物館から東京大学へ1個100ドルで購入したいと採集方依頼があった。…
…彼は大坂の物産家で,西欧人とも交わり,そのコレクションにはヨーロッパ産のモミジソデガイも含まれている。武蔵石寿の《目八譜(もくはちふ)》(1843)は15巻からなり,997種をのせた図説で,明治以前では最大の貝類書である。外国で日本の貝類を図説した書籍にはR.W.ドゥンケルの《Mollusca Japonica》(1861)および《Index Molluscorum maris Japonica》(1882),C.E.リシュケの《Japanische Meeres Conchylien》(1869‐74),W.コベルトの《Fauna Molluscorum extramarina Japoniciae》(1880)およびH.A.ピルスブリの《Catalogue of the Marine Mollusks of Japan》(1895)がある。…
…享保年間(1716‐36)には幕府の殖産興業政策によって物産学が盛んになり,博物学のすそ野が拡大された。この時期には田村藍水,平賀源内,小野蘭山,宇田川榕菴らの学者のほか,《目八譜》の武蔵石寿,《毛介綺煥(もうかいきかん)》《昆虫胥化(しよか)図》の肥後藩主細川重賢,《雲根志》の木内石亭,木村蒹葭堂(けんかどう)などのアマチュア博物学者も活躍した。 一方,17世紀からは断片的ではあるが西洋博物学の知識も入りはじめ,中でもドドネウスの《草木誌》とヨンストンの《動物図説》は当時の本草学に大きな影響を与えた。…
※「武蔵石寿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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