武藤俊之助(読み)ムトウ トシノスケ

20世紀日本人名事典 「武藤俊之助」の解説

武藤 俊之助
ムトウ トシノスケ

昭和期の物理学者 東京大学教授。



生年
明治37(1904)年10月

没年
昭和48(1973)年11月18日

出生地
岐阜県

学歴〔年〕
東京帝国大学理学部物理学科〔昭和3年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔昭和13年〕

経歴
昭和5年理化学研究所石田(義雄)研究室研究員。14年九大理学部教授、15年プリンストン高等研究所留学。戦後21年東大理工学研究所教授、23年東大物性研究所に移り、34年所長、40年定年退官。日本物理学会委員長、国際理論物理学会組織委員を務めた。退官後日大文理学部教授となり、原子力委員会、学術審議会各委員を歴任。結晶燐光体の発光現象の量子理論など先駆的な研究がある。著書に「固体論」「金属固体論」「塑性一般論」「量子理論とその応用」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤俊之助」の解説

武藤俊之助 むとう-としのすけ

1904-1973 昭和時代の物理学者。
明治37年10月9日生まれ。理化学研究所員をへて,昭和14年九州帝大教授。戦後,東大教授に転じ,34年同大物性研究所長となる。のち日大教授。専門固体物理学,原子核物理学。原子力委員会委員,学術審議会委員。昭和48年11月18日死去。69歳。岐阜県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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