固体物理学とは、固体のマクロな熱的、磁気的、電気的性質などを、量子力学に基づいたミクロな原理から解明することを目的とした物理学である。ミクロとマクロを結び付ける道具としては、統計力学の手法を用いる。固体とはおもに結晶をさすが、非晶質や準結晶なども固体物理学の対象といえる。固体物理学とほぼ同義の用語として物性物理学(物性論)があるが、後者の方はさらに液体などをも含めた凝縮系一般を対象としている。
結晶とは多くの原子や分子が規則正しく並んだものであるが、厳密には並進対称性をもった物質として定義される。並進対称とは系全体を決まった向きおよび長さだけ平行移動させると、移動させる前の構造と完全に重なることを意味し、この性質が数学的取扱いを簡単にしている。結晶の構成要素としては、原子核およびそれらに強く束縛されている電子からなるイオン殻と、比較的自由に運動できる価電子に大別することができ、前者を格子系、後者を電子系とよぶこともある。さらに、おのおのの電子はスピン(自転運動)に由来する磁気モーメントをもっている。これらの構成要素に働く相互作用の大きさや種類によって、固体は実に多様性に満ちた特性を示す。
[佐藤博彦]
有限温度では格子系は熱振動しているが、その振動は結晶全体に広がった波動の重ね合わせとみなすことができる。量子力学によれば波動と粒子は二重性をもつため、格子振動に対応したフォノン(音子)という粒子の存在を考えることができる。これは電磁波を理解するのにフォトン(光子)という粒子を考えることと類似している。フォノンの個数は一定ではなく、温度が高くなるほど増加する。また、フォノンはボース粒子なので、多数の粒子が同じ状態を占めることが許されている。絶縁体の比熱が低温で絶対温度の3乗に比例して減少していくことが実験事実として知られていたが、これは前述のようなフォノンの性質により説明することができる。また、絶縁体の熱伝導についてもフォノンが熱エネルギーを運ぶ現象という観点から説明できる。
[佐藤博彦]
もっとも簡単な金属のモデルでは、電気伝導に関与している電子を理想気体のように考える。ただし、電子はフェルミ粒子なので、複数の電子が同じ状態をもつことは量子力学のパウリの原理によって禁止されている。そのため、絶対零度であってもすべての電子が静止することは許されず、多くの電子は大きな運動エネルギーをもつことを余儀なくされる。そのエネルギーは、数万度の温度のもとでの古典的理想気体の運動エネルギーに匹敵するほど莫大(ばくだい)である。このモデルにより、自由電子の比熱が古典的理想気体と比べてはるかに小さいことや、低温で絶対温度に比例することが説明できる。電場が存在しない場合の電子の平均速度はゼロであるが、電場が存在すると電子が加速されるので平均速度はゼロでなくなり、それがマクロには電流として観測される。これは金属が電気伝導性をもつことを示している。
[佐藤博彦]
金属中の電子はフォノンを放出したり吸収したりすることにより絶えず散乱され、結果として電気抵抗が生じる。フォノンの個数は低温になるほど少なくなるので、金属の電気抵抗は低温になるほど減少する。フォノンはこのように電気抵抗のおもな原因になる一方で、条件によっては二つの電子の間に引力をもたらす場合がある。これはある電子が放出したフォノンを別の電子が吸収するというプロセスが存在するためである。引力により二つの電子が強く結合すると、クーパー対(つい)とよばれる特殊な状態をつくる。クーパー対は低温ではヘリウム原子の超流動とよく似た秩序状態を形成する。これが超伝導とよばれるものである。超伝導状態では電気抵抗が消失し、磁場を完全に排除する完全反磁性などの特異な現象が現れる。
[佐藤博彦]
現実の結晶では電子はイオン殻による周期的な静電力を感じながら運動する。それを考慮して量子力学的な計算を行うと、電子がもちうるエネルギーの大きさはバンドとよばれる決まった範囲内に限定されることが導ける。バンドは多数存在するが、隣り合うバンドどうしの間にはバンドギャップとよばれる領域があり、電子はその領域の大きさのエネルギーをもつことが禁止される。バンドの構造は物質ごとに異なるが、計算手法はほぼ確立している。このような計算を元に固体の性質を明らかにしていく方法論をバンド理論という。固体に金属、半導体、絶縁体のようにさまざまな電気伝導性を示す物質が存在する理由は、バンド理論により初めて説明された。バンド理論はシリコンやガリウムヒ素(ヒ化ガリウム)などの半導体の性質をよく説明し、半導体工学の基礎となっている。
[佐藤博彦]
おのおのの電子は負の電荷をもっているので、それらの間にはクーロン相互作用(電子相関ともいう)が働いており、厳密にはその影響を考えなくてはならない。バンド理論は、これらの相互作用が小さい物質では実験事実とよくあう。しかし、遷移金属酸化物などの電子相関が強い物質(強相関系)では、バンド理論が実験事実と大きく食い違う場合が多い。これは、電子相関が本質的に多体問題という困難で未解決な問題を含んでいるからである。そのため、強相関系は、バンド理論では予言できない新しい導電性や磁性現象への期待から興味がもたれ、とくに1986年の銅酸化物における高温超伝導の発見以来、盛んに研究されている。
[佐藤博彦]
磁性体に分類される固体では、電子はスピンや軌道運動による磁気モーメントをもっている。磁気モーメントの間には量子論に由来する交換相互作用という相互作用が働き、磁気モーメントどうしが互いに同じ向きに向こうとする性質や、正反対の向きに向こうとする性質が現れる。その結果、熱運動の影響が少ない低温では、すべての磁気モーメントが同じ向きにそろった強磁性や、互い違いに逆を向いた反強磁性など、さまざまな磁気秩序が生じる。このような秩序はマクロな大きさになって初めて出現するものであり、単なるミクロの現象の集積として理解することはできない。磁性に限らず、さまざまなマクロな秩序を研究することは固体物理学の興味の一つとなっている。
[佐藤博彦]
固体物理学は、さまざまな固体に共通する普遍的な現象に重きを置いてきたため、元来はできるだけ単純な物質を対象としてきた。これは物質の個性に重きを置く固体化学とは異なるアプローチといえる。しかし、20世紀の終わりごろから両者の境界はあいまいになり、物質科学という幅広い分野に融合されつつある。その研究例として、有機分子の特性を生かした超伝導体や磁性体の開発などがあげられよう。
[佐藤博彦]
『チャールズ・キッテル著、宇野良清・津屋昇・森田章・山下次郎訳『固体物理学入門』上下(1988・丸善)』▽『小村浩夫・石川賢司・石田興太郎著『固体物理学』(1994・朝倉書店)』▽『H・イバッハ、H・リュート著、石井力・木村忠正訳『固体物理学――新世紀物質科学への基礎』(1998・シュプリンガー・フェアラーク東京)』▽『沼居貴陽著『固体物理学演習――キッテルの理解を深めるために』(2000・丸善)』▽『鹿児島誠一著『固体物理学』(2002・裳華房)』
固体の物理的・化学的性質(物性と呼ぶ)を微視的立場から研究する学問分野。対象とする系は,規則的な原子配列を無限の領域にもつ完全結晶から,不純物,格子欠陥などを含む不完全結晶,さらにガラス,非晶質半導体,スピングラスなどの不規則固体に至るまで多岐にわたっている。近代的な固体物理学は,1912年にM.vonラウエが結晶内の原子の規則的配置をX線を用いて実験的に検証する方法を発見したときに始まる。現在ではX線,電子線,中性子線を用いて固体内および固体表面の原子配列あるいはスピン配列を調べる方法は,固体物理学における重要な研究手段の一つとなっている。固体内の電子状態を理論的に明らかにする固体電子論も固体物理学の重要な分野の一つであるが,この分野は量子力学誕生後の30年代にその基礎が作り上げられた。今日では固体内電子,原子を,一体近似を越えた多体系として取り扱う理論体系も発展し,超伝導の機構を明らかにしたJ.バーディーンらの理論,ジョセフソン効果,近藤効果,線形応答理論やグリーン関数法などの量子統計力学の解析的方法などの輝かしい成果を生むとともに,固体物理学のあらゆる分野に大きな刺激を与えている。また固体物理学における実験的手法もこの30年間に飛躍的な進歩をとげ,測定の精密化やコンピューターを駆使して理論計算との精密な整合などにより,精密科学としての真価を発揮するとともに,トランジスターをはじめ固体エレクトロニクスなどの技術の基礎を強固にするのにもおおいに威力を発揮している。最近は超低温,超強磁場,超高圧,広範なエネルギー領域のスペクトロスコピー,高励起など極限状態における物性研究,またスケーリング理論からくりこみ群を用いた不規則系をはじめ固体物性の示す種々の相転移の研究,さらには層間化合物をはじめ種々の低次元物質,超格子や超薄膜,液晶,種々の超伝導物質などの新しいカテゴリーの物質の研究で新生面が開かれつつある。
執筆者:上村 洸
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