改訂新版 世界大百科事典 「《武訓伝》批判」の意味・わかりやすい解説
《武訓伝》批判 (ぶくんでんひはん)
中国で1950年12月に公開された映画《武訓伝》に対する批判運動。武訓は19世紀に山東省で実在した人物。苦労を重ねて学校を建て,民衆教育に貢献した〈教育界の義人〉として民国時代にたたえられ,映画もそれを肯定的に描いていたといわれる。しかし武訓の行為に対する疑問が51年3月ごろから次々に提起され,同年5月20日付《人民日報》は,〈映画《武訓伝》の討論は重視すべきである〉という社説(1967年に執筆者は毛沢東と公表)を発表,政府文化部と合同で〈武訓歴史調査団〉を山東へ派遣した。その結果,武訓が農民を搾取した高利貸で,〈義学〉の学生にも貧農はいなかったという調査報告が51年7月の《人民日報》に掲載され,人々の武訓に対する虚像を打破した。共和国成立後最初の全国的な思想改造運動であるが,その後,毛沢東主導下に何度もくり返されたイデオロギー闘争の原型となった。
執筆者:山田 敬三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報