日本歴史地名大系 「殖槻寺跡」の解説 殖槻寺跡うえつきじあと 奈良県:大和郡山市郡山城下殖槻寺跡[現在地名]大和郡山市植槻町平城右京の南西隅、郡山城跡の北、植槻(うえつき)八幡神社の北西方にあった寺。「日本霊異記」中巻に諾楽(なら)右京に殖槻寺があったことがみえ、「今昔物語集」巻一六によると等身の銅造正観音像を安置していた。寺跡は字殖槻筋(うえつきすじ)の北の字北田中(きたたなか)付近と推定されている。天平勝宝五年(七五三)五月二三日の薬師寺三綱牒(正倉院文書)に、奈良薬師寺が東大寺装束仁王会司に貸した仁王経は、薬師寺が建法(けんぽう)寺から借りたものであるから速やかに返すよう要請したとあり、この牒の付箋によると仁王経は翌二四日に東大寺から殖槻寺に返却されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by