日本歴史地名大系 「比屋定村」の解説 比屋定村ひやーじよーむら 沖縄県:久米島・渡名喜島・粟国島久米島町比屋定村[現在地名]久米島町比屋定(ひやじよう)仲里(なかざとう)間切北部に位置し、西は宇江城(ういーぐしく)村、南東は阿嘉(あーか)村、北から東は東シナ海を臨み、海岸部は急崖が続く。久米島のもっとも高所にある集落。ヒャージョーと発音する。古くは比屋定村と宇江城村の間に嘉手川(かでいかー)村があったという。「おもろさうし」巻二一の三七に「一 かてかわのとのとの(嘉手川の殿々) にしのかね丸は(北の金丸は) のちすゑのおよは おきやかもいすちよわれ(後末の御世は輝くお方さま〔王〕こそましませ)」、巻一一の五五にも「かてかわの中もりに(嘉手川の中森に) あすひよあれは(神遊びをしたまうと)」などと謡われている。絵図郷村帳に「ひやじやう村」「かて川村」とみえる。琉球国高究帳では「ひやしやう村・中城村」と併記され、高頭六八石余、うち田五五石余・畠一三石余。「かて川村」は高頭七四石余、うち田五八石余・畠一五石余。嘉手川村は乾隆一一年(一七四六)の久米島検地により比屋定村に吸収されたかあるいは廃村になったとされる(仲里村誌)。拝所はケツマ御嶽・上(ういー)アミフシ御嶽・下(ちや)アミフシ御嶽・ヲベイ御嶽(琉球国由来記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by