日本歴史地名大系 「比木」の解説
比木
ひき
永正一四年(一五一七)六月六日の荒武宗名給恩分注文(荒武文書)によれば、伊東氏家臣荒武氏は比木方内に一町三反余を知行しており、当時の比木方の代官は落合民部少輔であった。戦国期の伊東氏の神社領支配の内容を示す弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)によれば、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
永正一四年(一五一七)六月六日の荒武宗名給恩分注文(荒武文書)によれば、伊東氏家臣荒武氏は比木方内に一町三反余を知行しており、当時の比木方の代官は落合民部少輔であった。戦国期の伊東氏の神社領支配の内容を示す弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)によれば、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報