毛利元清(読み)もうり・もときよ

朝日日本歴史人物事典 「毛利元清」の解説

毛利元清

没年:慶長2.7.9(1597.8.21)
生年天文20(1551)
戦国時代の武将。父は元就,母は乃美氏。通称四郎。治部大輔,伊予守。永禄年間(1558~70)末ごろ桜尾城(広島県廿日市市)城主となり,天正3(1575)年,備中に5000貫の所領を与えられて猿懸城(岡山県矢掛町)城主も兼ね,穂田姓を名乗る。兄小早川隆景と共に山陽方面の戦線を指揮し,同9年備前児島で宇喜多軍を破った。のち広島築城の普請奉行となり,惣国検地後の打渡状にも署判を加えるなど一門年寄として活躍した。妻は来島通康の娘で,次男秀元は長門長府藩の祖となった。養子として他家を相続した兄吉川元春,小早川隆景とは異なり,毛利家中の重鎮として甥の輝元をよく輔佐した。

(秋山伸隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利元清」の解説

毛利元清 もうり-もときよ

1551-1597 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)20年生まれ。毛利元就(もとなり)の4男。天正3年(1575)備中(びっちゅう)(岡山県)の穂田元資(ほいだ-もとすけ)の家をつぎ,猿掛城主となる。6年毛利一族とともに尼子氏をほろぼし,羽柴秀吉中国攻めに対抗した。11年毛利姓に復す。のち朝鮮出兵に従軍。慶長2年7月9日死去。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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