朝日日本歴史人物事典 「土岐定政」の解説
土岐定政
生年:天文20(1551)
安土桃山時代の武将。上野国(群馬県)沼田藩主土岐家の祖。父は土岐頼芸の臣土岐明智定明,母は三河国菅沼氏の娘という。美濃多芸郡に住したが,天文21(1552)年土岐氏主流滅亡の際,父が戦死したため,2歳で母方の実家を頼って三河に移り,菅沼定仙に養われて成長。のち徳川家康に仕えたが,明智光秀と同族であることをはばかって,菅沼藤蔵と称したとされる。以後,歴戦の勇士として名を成したが,性質は粗暴であったという。天正18(1590)年,家康の関東入部に際して下総相馬郡に1万石を給され,文禄2(1593)年家康の命で本姓土岐氏に復した。
(谷口研語)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報