コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

毛利季光 もうり すえみつ

2件 の用語解説(毛利季光の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

毛利季光 もうり-すえみつ

1202-1247 鎌倉時代の武将。
建仁(けんにん)2年生まれ。大江広元の4男。相模(さがみ)(神奈川県)毛利荘を領し,毛利氏を称した(同氏初代)。承久(じょうきゅう)の乱で活躍,天福元年(1233)幕府評定衆となる。妻が三浦泰村の妹であったため,三浦氏の乱に際しては泰村方について北条氏とたたかい,宝治(ほうじ)元年6月5日自害。46歳。法名は西阿。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

毛利季光

没年:宝治1.6.5(1247.7.8)
生年:建仁2(1202)
鎌倉幕府の評定衆。大江広元の子。相模国毛利庄(厚木市)を基盤とし毛利姓を名乗る。承久1(1219)年,源実朝が暗殺されたのを機に出家,法名は西阿。通称は,毛利入道。天福1(1233)年評定衆となる。延応1(1239)年,娘が北条時頼に嫁ぐ。宝治合戦(1247)では,三浦泰村方につき,頼朝法華堂前で自害した。

(永井晋)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

毛利季光の関連キーワード無生駒井信盛島津忠時関政泰善康長千葉秀胤二階堂行頼(1)藤原実光村山義信若菜五郎

今日のキーワード

ワールド・ベースボール・クラシック

メジャーリーグ機構、メジャーリーグ選手会が音頭をとってスタートした野球の世界一決定戦。2006年の第1回は16カ国が参加。4組に分かれて1次リーグを行い、各上位2カ国が米国に移って2リーグの2次予選、...

続きを読む

コトバンク for iPhone