日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルデマー」の意味・わかりやすい解説
バルデマー(2世)
ばるでまー
Valdemar Ⅱ
(1170―1241)
デンマーク王(在位1202~41)。18歳で兄クヌード6世(在位1182~1202)からシュレスウィヒ公に任命され、対立者シュレスウィヒ司教バルデマーを破るなど有能な将軍として活躍。兄と協力してデンマークの北ドイツ政策において重要な役割を演じた。1202年クヌードの没後、即位した。北ドイツへの遠征で、同地域の諸侯を臣従させるとともに、リューベックを支配下に置くなど、北ドイツの脅威の排除に努めた。19年にはエストニア遠征を行った。23年家臣であったシュウェーリン伯ハインリヒの奸計(かんけい)によって息子とともに捕虜になり、2年後に多額の身代金を払って解放されたが、リューゲン島やエストニアの一部を除くすべての支配地を失った。27年その奪回を試みたが、ホルシュタインで敗れた。彼の時代の貴重な史料として「バルデマー王の土地台帳」と「ユトランド法」がある。
[牧野正憲]
バルデマー(4世)
ばるでまー
Valdemar Ⅳ
(1320―1375)
デンマーク王(在位1340~75)。1340年の即位まで、父クリストファー2世の亡命など政治的混乱により大半をドイツ宮廷で過ごした。即位後は弱体化したデンマーク王権の再興を目ざし、46年シェラン島、53年ユトランド半島の大部分、さらに60年スウェーデン王マグヌスからスコーネを奪回、シュレスウィヒを除くほぼ全土を支配下に置き、その目的を達成した。翌年ヘズビュー遠征を行い、ゴトランド島を併合してハンザ同盟との関係を悪化させた。強引かつ容赦のない彼の政策に不満を抱くデンマーク貴族は、67~68年ハンザ諸都市やメクレンブルク公と同盟、圧倒的な勢力の前に彼は亡命を余儀なくされた。70年和約してハンザ同盟に大幅な譲歩を行い、71年に帰国、再度王権再興に努力した。
[牧野正憲]
バルデマー(1世)
ばるでまー
Valdemar Ⅰ
(1131―1182)
デンマーク王(在位1157~82)。1147年シュレスウィヒ公となり、57年対立国王であったスベンを破り、26年間に及ぶ内戦を終わらせ、単独統治を開始した。内戦期のデンマーク沿岸地帯を荒廃させたウェンド人に対しては、要衝に築城すると同時に、ザクセンのハインリヒ獅子(しし)公とも同盟、積極的に攻撃を行い、リューゲン島を占領し、デンマークからウェンド人の脅威を取り除いた。国内政策では、幼少時の養育先であったビーゼ家の協力を得て、王権の伸張、教会との提携に力を注いだ。彼の治下、バルト海交易の隆盛によって商業地の繁栄と農業の進歩がみられ、王の収入の飛躍的増大をもたらし、王権伸張を可能にする要因となった。
[牧野正憲]