宥快(読み)ユウカイ

デジタル大辞泉 「宥快」の意味・読み・例文・類語

ゆうかい〔イウクワイ〕【宥快】

[1345~1416]室町前期の真言宗の僧。京都の人。あざなは性厳。高野山の信弘に密教を学び、「宝鏡鈔」を著して立川流批判高野教学大成者とされる。著はほかに「大疏鈔」など。

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精選版 日本国語大辞典 「宥快」の意味・読み・例文・類語

ゆうかいイウクヮイ【宥快】

  1. 室町初期の真言宗の僧。宝門の祖。字は性厳。藤原実光の子。高野山宝性院の信弘に密教を受け、さらに山科安祥寺の興雅に学び、高野山の教相学を大成した。立川流を厳しく批判、論破し、また後円融天皇尊信された。著書に「大疏鈔」「釈論鈔」など多数。貞和元~応永二三年(一三四五‐一四一六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宥快」の意味・わかりやすい解説

宥快
ゆうかい
(1345―1416)

室町時代の真言(しんごん)宗の僧。真言宗の教学史上屈指の学者で、南山(高野山(こうやさん))教学の大成者。字(あざな)は性厳房(しょうごんぼう)。藤原実光(ふじわらのさねみつ)(1202―1247)の子として京都に生まれる。17歳で出家し瑞厳(ずいごん)と称し、のちに高野山宝性院(ほうしょういん)の信弘(しんこう)に師事して宥快と改名。教相・事相(密教の教義面・修行面)の諸流を学び宝性院門主となり、『宝鏡鈔(ほうぎょうしょう)』を著して邪教立川流(たちかわりゅう)を反駁(はんばく)した。京都山科(やましな)の安祥寺(あんしょうじ)に法を受けて門主となる。このころ寿門長覚(じゅもんちょうがく)(1340―1416)について悉曇灌頂(しったんかんじょう)を受け研鑽(けんさん)に励むが、ある夜丹生津姫(にうつひめ)の霊感を身に受け、疑団たちまち氷解したという。門弟に宥信(ゆうしん)(?―1432)などがいる。著に『大日経口之疏鈔(だいにちきょうくちのしょしょう)』など多数ある。

[吉田宏晢 2017年10月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「宥快」の解説

宥快

没年:応永23.7.17(1416.8.10)
生年:貞和1/興国6(1345)
南北朝・室町時代の真言宗の僧。左少将藤原実光の子。山城(京都府)の出身。常陸(茨城県)佐久間寺の栄智について出家したのち,高野山に登り宝性院の信弘に師事する。応安7/文中3(1374)年信弘の跡を継いで宝性院門主となる。立川流を邪教として批判し『宝鏡鈔』を著したことから名声が高まる。永和3/天授3(1377)年山科安祥寺の興雅に学び,永徳3/弘和3(1383)年同寺門主職を兼務。応永13(1406)年に善集院に隠退し,講学や著述に専念する。南山教学の大成者として有名で,長覚 の寿門派に対して宝門派を称す。特に長覚の不二門に対して而二門を主張。著書すこぶる多く後世に大きな影響を与える。「根来寺の頼瑜,東寺の杲宝,高野の宥快」ともいわれる。<参考文献>『密宗学報』記念号25号

(井野上眞弓)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宥快」の解説

宥快 ゆうかい

1345-1416 南北朝-室町時代の僧。
貞和(じょうわ)元=興国6年生まれ。真言宗。高野山宝性院の信弘に師事し,その跡をついで宝性院門主となる。「宝鏡鈔」をあらわして立川流を批判。京都安祥寺の興雅にまなび,同寺門主をかねる。長覚とともに高野山の教学を大成。「宗義決択集」「大日経疏鈔(しょしょう)」などおおくの著作がある。応永23年7月17日死去。72歳。京都出身。字(あざな)は性厳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宥快」の意味・わかりやすい解説

宥快
ゆうかい

[生]興国6=康永4(1345)
[没]応永23(1416).7.
室町時代の真言宗僧。高野山宝性院で信弘の教えを受け,顕密諸教を研究。のち同寺に講筵を設け,多数の学徒を集め,宗風を宣揚した。高野山の教相学を確立し,応永の大成と称される。著書は『大疏鈔』『釈論鈔』『宗義決択集』『宝鏡鈔』『悉曇決択鈔』など多数。

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百科事典マイペディア 「宥快」の意味・わかりやすい解説

宥快【ゆうかい】

室町初期の真言宗の僧。京都の人。藤原実光の子。高野(こうや)山宝性(ほうしょう)院の信弘から両部の秘法を受け,また京都山科(やましな)の安祥寺興雅に受法し,真言宗の教義を明確に位置づけた。彼の学統を宝門という。著書《大疏鈔(だいしょしょう)》《釈論鈔》など。

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