改訂新版 世界大百科事典 「好色文学」の意味・わかりやすい解説
好色文学 (こうしょくぶんがく)
好色が罪悪視されなかった古代では猥雑な表現は公演される劇作(アリストファネスの喜劇など)にさえ見られるが,西欧好色文学の古典はローマのオウィディウスの《アルス・アマトリア》である。中近東を代表するのは中世にまとめられた《千夜一夜物語》といえよう。中世にはフランスの韻文小話ジャンル〈ファブリオー〉(主として13世紀)が風刺的な好色の要素を示す。イタリア文芸復興期にはボッカッチョの《デカメロン》があり,その影響下にフランスで《新百話》(15世紀),マルグリット・ド・ナバールの《エプタメロン》(1559)が書かれた。近世に入ると,教皇パウルス4世による最初の禁書目録作製(1559)と相前後して,各国で出版物検閲制度が敷かれ,好色文学は地下にもぐると同時にいっそう好事家の食指をそそるものとなり,春本類の秘密出版が企業として成立しはじめる。文学としては近世写実主義小説が当然愛欲の描写をともなうため,部分的に好色文学のわく内に入るものが多い(ソレルの《フランシヨンこっけい物語》(1622-33),ラクロの《危険な関係》(1782),ゾラの《ルーゴン・マッカール双書》,モーパッサンの短編など)。一方,史伝的逸話集にブラントームの《艶婦伝》(死後出版。1666),自伝にカサノーバの《回想録》があるほか,18世紀には純粋の好色文学として,フランスにクレビヨン・フィスの《ソファー》(1745)その他の諸作,イギリスにクレランドの《ファニー・ヒル》(1748-49)などが見られる。そして18世紀末にサド侯爵が現れて,禁忌の全的侵犯としてのエロティシズムの哲学を確立する。19世紀ではバルザックに《風流滑稽譚(コント・ドロラティーク)》(1832-39)がある以外は好色文学の傑作が乏しく,20世紀の傑作,ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》(私家版,1928),ミラーの《セクサス》(1949)はその思想性のゆえに,セリーヌの《夜の果ての旅》(1932)はその風刺性のゆえに,たんに好色と形容することはできない。
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執筆者:山田 𣝣
中国
中国における好色文学の萌芽は,北里(ほくり)すなわち遊里を舞台とした唐代小説に認められる。さらにその源流は,山奥の仙界に迷いこんだ青年が仙女と結ばれ,やがて俗界にもどったときには時間がいちじるしく経っていたという浦島太郎型の,六朝時代の仙境譚に求められるであろう。唐代小説の《遊仙窟》は,この種の仙境譚に北里の要素を加味したものである。しかし,唐代小説の多くは,才子佳人の悲歓離合を主題としていて,人間性の底にひそむ好色性については,まだ赤裸々には取り上げていない。好色文学と称すべきものは,元・明以後に出現した。その理由として,第1に,庶民を対象とした語り物演芸が宋代以降とくに発達したことにより,その発展形態としての口語小説が,人間に普遍的な好色性をも直視したこと,第2に,元以後の通俗的なレベルの道教が,長生術などを表面にかかげた性技術書たとえば《素女妙論》《修真演義》のたぐいを大量に刊行したこと,第3に,元代に中国に浸透したチベットのラマ教が,図像的には男女の性的歓喜を描いた聖天(しようてん)像などを具体的な媒体としていたこと,などが考えられる。元・明代の好色文学としては,《金瓶梅》が質量ともに空前の作品であるが,それゆえにまた,淫書としての汚名をも末永くこうむることとなり,人間性にひそむ好色と悪の衝動を鋭く描ききったその文学的価値については,顧みられることがまれであった。《金瓶梅》の亜流小説は輩出したが,明末の李漁の作に擬せられる《肉蒲団》を除けば同工異曲,わずかに清代の文語小説《癡婆子伝(ちばしでん)》が異色である。これら好色文学の流行とともに,その挿絵としての春画もまた,風俗画としての側面をにないつつ発展した。清代にはまた,舞台を北里や梨園など特殊な世界に求めた好色文学が生まれるが,その多くはふたたび才子佳人の悲歓離合を主題とし,あからさまな好色の主題はうすれ,禁欲的な近現代文学の時代へと移るのである。
執筆者:中野 美代子
日本
好色の事実の記述は,《古事記》《日本書紀》《万葉集》《日本霊異記》など奈良朝以前の文献にも部分的に散見し,平安朝以降にも《催馬楽譜》《梁塵秘抄》以下の歌謡,《今昔物語集》《古事談》《続古事談》《古今著聞集》《宇治拾遺物語》などの説話,《新猿楽記(しんさるがくき)》などの雑録にも見えるが,それらを好色文学と限定することはできない。《著聞集》には好色の部立があるが,内容に性的なにおいは少なく,むしろ興言利口の部が艶笑的である。真の好色文学は中世末期より近世にまたねばなるまい。すなわち俳諧では山崎宗鑑の《犬筑波(いぬつくば)集》あたりに滑稽と好色の豪快な混合を見るべく,近世初期の《きのふはけふのものがたり》《醒睡笑(せいすいしよう)》などには,どこの国にもある小話風のユーモラスな好色性を見うる。やや長い作品としては延宝の版行になる《たきつけ草》《もえくゐ》《けしずみ》の3巻が色道の粋を説き,狭斜の教科書的な存在として,狭義の好色本の初めをなす。しかし描写はかならずしも猥雑ではない。井原西鶴の好色物はこれを好色文学と規定すべきかどうか問題で,好色を冠し,色欲の世界を重要な材料としているものの,それを重点としているとのみいいがたい。《好色三所世帯》《真実伊勢物語》などは純然たる春本でもなく,紙一重のところで好色本となっているといえよう。この種には《好色訓蒙(きんもう)図彙》《好色増鏡(ますかがみ)》《浮世栄華一代男》《好色伝授》《好色旅枕(たびまくら)》《好色小柴垣(こしばがき)》《風流曲三味線》《好色床談義(とこだんぎ)》《諸遊芥子鹿子(けしがのこ)》《魂胆色遊懐男(こんたんいろあそびふところおとこ)》などが著名で,元禄・宝永より享保・寛延にわたって出ている。《逸著聞集》《はこやのひめごと》《あなをかし》を俗に色道の三奇書と称するが,ほかに《大東閨語(だいとうけいご)》《春臠柝甲(しゆんらんたくこう)》の文画ともに秀抜なものがある。それに《誹風末摘花(はいふうすえつむはな)》4冊は,バレ句集として世界の珍である。好色本は1722年(享保7)風俗上から禁止されたが,それまでは売買も公然だった。宝暦以降には《長枕褥(しとね)合戦》《痿陰(なえまら)隠逸伝》などの奇抜なものもあるが,柳亭種彦の《水揚帖(みずあげちよう)》はじめ《春情花の朧夜(おぼろよ)》《真情春雨衣》などは純然たる春本である。柳里恭(りゆうりきよう)の《ひとりね》は小説ではないが好色の奥義を説いた部分がある。要するに日本の好色文学は,江戸時代を中心としてすぐれたものが生まれ,明治以後になると文学上の自覚と政府の禁圧強化で衰えた。しかし時に永井荷風のような名家にそれにまがう著作があり,特に第2次大戦直後には,戦中の反動として扇情的な文学が輩出した。
→好色本
執筆者:吉田 精一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報