毛原廃寺(読み)けはらはいじ

日本歴史地名大系 「毛原廃寺」の解説

毛原廃寺
けはらはいじ

[現在地名]山添村大字毛原小字東出

笠間かさま川の左岸台地上に営まれた奈良時代の寺院跡。標高約二六〇メートル前後、南に笠間川、後背に山が迫る地にあり、毛原集落の民家のなかに巨大な礎石群が残る。国指定史跡。南門跡・中門跡・金堂跡とみられる建物の礎石が残り、塔跡・講堂跡といわれる所もある。金堂は桁行約二三・八メートル、梁間約一二メートルの約一二・七メートル四面、中門は桁行約一七・七メートル、梁間約五・九メートルの約九メートル二面、三戸の門で、南門跡は桁行約一七・七メートル、梁間約七メートルで、約九メートル二面、三戸の楼門と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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