毛屋の繰舟渡(読み)けやのくりぶねわたし

日本歴史地名大系 「毛屋の繰舟渡」の解説

毛屋の繰舟渡
けやのくりぶねわたし

[現在地名]福井市毛矢一丁目

福井城内と毛屋家中町を結ぶ足羽あすわ川の渡し。江戸時代初期には一時橋があったらしく、慶長一九年(一六一四)の北庄古図(松平文庫蔵)には毛屋橋がみえるが、城郭に近接した重要な地点なのでその後まもなく橋は取外され、両岸に綱を渡して人馬などで舟をたぐり寄せる繰舟による渡しが開かれた。

これに乗船できる者は福井藩家中および松平家の菩提寺など八ヵ寺のみで、往還旅人はもちろんのこと町人・百姓の乗船は許されなかった。貞享三年(一六八六)の大法で毛屋の家中屋敷が空屋敷となると一時中断したが、享保年中(一七一六―三六)松岡家中が松岡まつおか(現吉田郡松岡町)から毛屋へ引越して来ると、元文四年(一七三九)再開され、文久二年(一八六二)由利公正の提起によって、さいわい橋が架橋されるまで続いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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