毛馬内村(読み)けまないむら

日本歴史地名大系 「毛馬内村」の解説

毛馬内村
けまないむら

[現在地名]鹿角市十和田毛馬内とわだけまない

南流する小坂こさか川と西流する大湯おおゆ川の合流点左岸の河岸段丘西端に位置し、現古下ふるしたに縄文晩期、同寺の上てらのうえに続縄文の遺跡がある。「聞老遺事」に永禄九年(一五六六)安東愛季・南部信直の戦いに関し「毛馬内某」とみえ、近世初期の「鹿角郡由来記」に「毛馬内備中領知 本名成田之惣領也 後ニ南部靭負信継領知 天文年中三戸より被遣 知行高弐千石 村数毛馬内・瀬田石・大欠・赤沢」とあり、中世中期頃より開村していた。集落北側の舌状台地南端部に中世の当麻とうま館跡がある。また江戸期の柏崎かしわざき(毛馬内城)もあった。

明暦三年(一六五七)南部氏の重臣桜庭氏が毛馬内城に入って足軽同心が弘前藩領境を守備し(南部史要)、享保二〇年(一七三五)毛馬内通の代官所設置を契機に町を整備した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報