日本歴史地名大系 「気比村」の解説 気比村けひむら 兵庫県:豊岡市気比村[現在地名]豊岡市気比畑上(はたがみ)村の北、三原(みはら)村の西、円山(まるやま)川河口部東岸に立地し、北は海(津居山湾)に臨む。大正元年(一九一二)当地鷲崎(わしざき)から四口の銅鐸が出土。「延喜式」神名帳に載る城崎(きのさき)郡の気比神社がある。気比の地名・神社名は越前敦賀(つるが)津(現福井県敦賀市)にもあり、現兵庫県では淡路の三原川河口右岸に気比の地名がある(現在は慶野松原として知られる)。なお「吾妻鏡」建久三年(一一九二)二月二四日条に平家残党越中次郎兵衛尉盛継が丹波国に隠れていたとあり、翌年三月一六日条には後藤兵衛尉基清に追討を命じたとみえるが、「平家物語」の覚一本(巻一二)・長門本(巻二〇)はともに盛継が但馬国へ落行き、気比四郎道弘(気比権守道広)のもとに隠れていたとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by