日本歴史地名大系 「水分村」の解説 水分村すいぶんむら 大阪府:南河内郡千早赤阪村水分村[現在地名]千早赤阪村水分川野辺(かわのべ)村の南にある。南東の水越(みずこし)峠付近を水源とする水越川が北西流し、北西端近くで千早川に合流する。川沿いに富田林(とんだばやし)街道が通り、水越峠を越えて大和国御所(ごせ)に通じる。水越川と千早川の合流点北東にある御旅所北(おたびしよきた)古墳からは家形組合せ式石棺が出土した。村名は当地にある建水分(たけみくまり)神社から生じたといわれ、「みくまり」ともよぶ。「河内志」に「一名甘口」とするのは古代石川郡紺口(こんく)郷(和名抄)に由来するものか。また同書に「水分属邑五」とあるのは字地の南水分・北水分・出合・山の井・漆原をさすといわれ、山の井は楠木正成誕生地と伝える(大阪府全志)。このほか赤土山塞跡・水越塞跡など楠木氏の戦跡を伝える遺構が多い。永正一七年(一五二〇)一一月一三日の畠山稙長奉行人奉書(建水分神社文書)に「河州東条郡水分菱木孫右衛門尉抱分」とみえる。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高五四四石余、うち高五四一石が幕府領、三石余が金剛山転法輪(てんぽうりん)寺(現御所市)領、小物成として山年貢銀一貫一五五匁四分。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by