富田林(読み)トンダバヤシ

デジタル大辞泉 「富田林」の意味・読み・例文・類語

とんだばやし【富田林】

大阪府南東部の市。もと真宗興正寺別院寺内町として発達すだれなどを特産。PL教団本部がある。人口11.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「富田林」の意味・読み・例文・類語

とんだばやし【富田林】

大阪府南東部の地名。永祿三年(一五六〇)一向宗興正寺の証秀上人が寺内町として開発。現在は大阪の近郊住宅都市として発展。竹工業、グラスボール製造工業、果樹・野菜栽培などが盛ん。昭和二五年(一九五〇市制

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改訂新版 世界大百科事典 「富田林」の意味・わかりやすい解説

富田林[市] (とんだばやし)

大阪府南東部の市。1950年市制。人口11万9576(2010)。市域は西の羽曳野(はびきの)丘陵から東の金剛山地までを占める。中央部は大和川の支流石川の沖積地で,条里制の遺構が示すように古くから開けたところである。中心の富田林は石川の河岸段丘上に形成された興正寺別院の寺内町に始まり,以後,南北方向の東高野街道と東西方向の富田林街道の交差する要衝として栄えた。1898年河陽鉄道(現,近鉄長野線)が開通し,1923年には大阪の阿倍野橋まで延長(現,近鉄南大阪線)されて市街地が拡大した。市域北部では特産の竹すだれやクリスマス用グラスボールが生産されるほか,第2次大戦後,繊維,ゴム製品に加えて木材,金属,機械類の生産も始まった。近郊農業として野菜,果樹栽培が行われているが,1960年代に入ってからの急速な宅地化によって農地は減少している。市域には百済系渡来人の氏神といわれる錦織(にしこおり)神社,鎌倉中期の仁王門(重要文化財)のある竜泉寺滝谷不動明王寺などのほか,PL教団の本部がある。
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戦国時代末期の1558年(永禄1)ころ,真宗興正寺の証秀を開基とする興正寺別院を中心に寺内町として成立した。別院は,三好氏へ銭100貫文を贈り荒芝の土地に建設を認められたもので,近隣4ヵ村から選ばれた八人衆が年寄として支配した。60年守護代安見直政より諸公事・徳政・座公事の免除,寺内は大坂並み(つまり石山本願寺並み)とするなどの特権を得た。石山合戦では織田信長方に降伏し存続を認められた。近世には寺内町の実質は消滅した。1644年(正保1)に戸数285,人口1222人,1746年(延享3)に2020人に達したが,以後停滞。南河内の木綿流通の中心であり,酒造業も盛んであった。17世紀後半には近江との木綿,紀伊との小間物の取引が活発で,さらに江戸,長崎,越前,信濃へ取引にでかける商人も多かった。
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世界大百科事典(旧版)内の富田林の言及

【寺内町】より

…ついで大坂の石山本願寺には当初寺内6町のち10町を超える町が発展した。そして,石山の周辺である摂津,河内,和泉,大和には寺内町が急速に成立し,富田林(とんだばやし),大ヶ塚(だいがつか)(大阪府南河内郡河南町),八尾,久宝寺(きゆうほうじ)(大阪府八尾市),招提(枚方市),富田(とんだ)(高槻市),貝塚今井などの寺内町ができた。また東海地方では尾張・美濃境の富田(とみだ)(愛知県尾西市)などにできたが,三河では真宗寺院はあったものの寺内町の発展はなかった。…

※「富田林」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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