水沢澄夫(読み)ミズサワ スミオ

20世紀日本人名事典 「水沢澄夫」の解説

水沢 澄夫
ミズサワ スミオ

昭和期の美術評論家



生年
明治38(1905)年8月14日

没年
昭和50(1975)年2月13日

出生地
栃木県

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部美学美術史学科〔昭和6年〕卒

経歴
昭和6年柳宗悦の民芸運動に参加。7〜9年美術雑誌「宝雲」編集に従事。8年鉄道省国際観光局に務め「ツーリスト・ライブラリー」を編集。17年財団法人国際文化振興会勤務。戦後は美術評論を書く傍ら、実践女子大講師を務めた。33年中国で開いた光琳展、34年エジプト美術展日本開催尽力。48年町田市立町田郷土資料館初代館長となった。著書に「鉄斎」「エジプトの美術」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水沢澄夫」の解説

水沢澄夫 みずさわ-すみお

1905-1975 昭和時代の美術評論家。
明治38年8月14日生まれ。昭和33年の中国での尾形光琳展,翌年のエジプト美術展の日本での開催に尽力した。実践女子大講師,町田市立町田郷土資料館館長。昭和50年2月13日死去。69歳。栃木県出身。京都帝大卒。著作に「鉄斎」「エジプトの美術」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「水沢澄夫」の解説

水沢 澄夫 (みずさわ すみお)

生年月日:1905年8月14日
昭和時代の美術評論家
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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