水納村(読み)みんなむら

日本歴史地名大系 「水納村」の解説

水納村
みんなむら

[現在地名]多良間水納みんな

多良間島の北に浮ぶ水納島をもって一村とする。多良間島三ヵ村の一つ。「中山伝信録」では南七島として太平山たいへいざん(宮古島)・達喇麻(多良間島)などとともに「面那」とみえ、「中山世譜」では三十六島のうちに面那(俗叫水納)とある。慶長一六年(一六一一)三月、竿奉行の伊地知重房ら一行は「水那島」に入っている(南聘紀考)。両島絵図帳に「たらま嶋之内 ミつな島」とあり東西一五町・南北六町三間で、島回りに干瀬が続くという。また「村より小舟入江ハ未申之間、此嶋よりたらま嶋迄舟路弐里」、高六石余と記している。正保国絵図に多良間島のうち「みつな嶋 人居有」とみえ、島回り一里で、南東端に「はなれ崎」、北西端に「はま崎」がある。また宮古島漲水ぴやるみず(現平良市)より海上三五里とあるが、「船かゝり不成」と記される。順治九年(一六五二)「大宮古間切の水納」目差職に「まさり」が任じられている(同年一〇月九日「補任辞令書」親里家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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