沖縄の旧行政区画名。現在の市町村の区域にほぼ相当する。「くに」「郡(ぐん)」と記す史料もある。「間」は区域、「切」はそれをくぎることを意味する。先史時代の地域集団のテリトリーに淵源(えんげん)をもつとみられ、琉球(りゅうきゅう)王国形成過程で行政区画として上から編成された。16世紀に入ると行政単位として確定され、首里大屋子(しゅりのおおやこ)などの役人が配置されていた。そのころの間切は、「シマ」とよばれる集落をいくつか集合した広域的な行政単位であった。近世になると「シマ」は「村(むら)」と名称が変わり、間切を構成する村のなかの一つを主邑(しゅゆう)として間切番所(ばんじょ)を置き、地頭代(じとうだい)(方言ジトゥデー)を筆頭とする間切役人(サバクリという)が詰めていた。また、総地頭が間切の管轄者として重要な権限を握っていた。1879年の琉球処分以後も間切・村制度は存続していたが、1907年(明治40)の沖縄県及島嶼(とうしょ)町村制の公布(翌年施行)によって間切は廃止され町、村に変わった。
[高良倉吉]
…12世紀ころから15世紀までの按司は一定の領域に君臨する首長で,チャラ,ティダ(太陽)の別称でも呼ばれた。16世紀初期,尚真王のときに各地に割拠していた按司は王都首里に集居させられ,以後,社会的身分の最高位をあらわす位階としておもに王族から任命され,間切(まぎり)と称される行政区域の領有を保障された。近世になってもその性格は基本的に変わらなかったが,按司地頭とも称され総地頭とともに両総地頭の名で呼ばれる琉球王国の中枢的存在であった。…
…第2に地方統治制度の強化がある。北は奄美諸島から南は先島諸島までの各島を〈間切(まぎり)〉に編成し,その下にシマと称する行政単位を置いた。そして首里大屋子(しゆりおおやこ),大屋子,目差(めざし),掟(おきて)などの役人を配した。…
※「間切」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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