朝日日本歴史人物事典 「水野信元」の解説
水野信元
生年:生年不詳
戦国時代の武将。通称藤七郎,四郎右衛門,受領名は下野守。三河緒川城主水野忠政の次男で,母は松平昌安の娘。徳川家康の生母於大の方の異母兄に当たる。天文12(1543)年,父忠政の跡を継ぐと,今川義元に背き織田信秀に属した。永禄3(1560)年の桶狭間の戦のあと,甥家康に織田信長への服属を勧告し,信長との仲介に当たり,同5年1月15日,清須城での信長と家康の同盟のなかだちをしている。元亀3(1572)年の三方ケ原の戦には,織田方からの援軍として家康のこもる浜松城に送られている。刈屋城主としての信元の立場は,信長と家康との間に立つ微妙な位置にあった。天正3(1575)年,長篠の戦ののちのことになるが,武田勝頼への内応の嫌疑をかけられた。勝頼方の美濃岩村城主秋山信友に兵糧を売ったためといわれている。信元は家康の岡崎城に逃れたが,信長の命により家康の手の者に殺された。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報