水野信元(読み)みずの のぶもと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野信元」の解説

水野信元 みずの-のぶもと

?-1576* 戦国-織豊時代の武将
水野忠政次男三河(愛知県)刈谷(かりや)城主徳川家康の生母伝通院(於大(おだい)の方)の異母兄織田信長につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いののち,家康との仲をとりもつ。のち武田氏へ内通の疑いをうけ,信長の命で天正(てんしょう)3年12月27日切腹。土井利勝の父ともいう。初名は忠次。通称は藤七郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の水野信元の言及

【徳川家康】より

…父は岡崎城主松平広忠,母は刈谷城主水野忠政の娘(於大の方(おだいのかた),法号伝通院(でんづういん))。広忠は駿河の大名今川義元の勢力下で尾張古渡(ふるわたり)城主織田信秀と対立していたが,その渦中で於大の方の兄水野信元が今川氏に背いて織田氏と結んだので,於大の方は3歳の竹千代を残して離別され,まもなく尾張阿古居城主久松俊勝に再嫁し,竹千代19歳のときまで会うことがなかった。 6歳のとき,人質として駿府の義元のもとへ行く途中を織田方に捕らえられて尾張に送られた。…

【水野氏】より

…尾張国の土豪,江戸時代の譜代大名(図)。先祖は多田満仲の弟満政とされ,重房のとき尾張国知多郡小河村に住して小河氏を称し,のち春日井郡水野に移って水野氏と改めたという。1487年(長享1)に没した貞守が三河国刈屋に城を築き,その後は代々刈屋・小河両城を本拠とした。天文期(1532‐55)に活躍した忠政の女於大の方(伝通院)は同国岡崎の松平広忠に嫁して徳川家康を生んだが,水野氏が松平氏と敵対する織田氏にくみしたので離別された。…

※「水野信元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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