大沼枕山(読み)オオヌマチンザン

精選版 日本国語大辞典 「大沼枕山」の意味・読み・例文・類語

おおぬま‐ちんざん【大沼枕山】

  1. 幕末の漢詩人。名は厚。字は子寿。父竹渓も有名な漢詩人。江戸に生まれ、少年時代尾張で過し、鷲津益斎に学んだ。菊池五山大窪詩仏梁川星巖知遇を得、詩塾「下谷吟社」を起こす。著「枕山詩鈔」「房山集」など。文政元~明治二四年(一八一八‐九一

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改訂新版 世界大百科事典 「大沼枕山」の意味・わかりやすい解説

大沼枕山 (おおぬまちんざん)
生没年:1818-91(文政1-明治24)

幕末・明治前期の漢詩人。江戸下谷の人。名は厚,通称捨吉,枕山は号。父竹渓の死後,尾張の鷲津益斎の下におもむき,家塾有隣舎で学び,森春濤(しゆんとう)と同門であった。1849年(嘉永2)以後,下谷御徒町に居を定め,下谷吟社を興した。維新後,下谷吟社は岡本黄石の麴坊吟社,鈴木松塘の七曲吟社を圧して栄えた。この間,人々が権勢にこび名利に奔走することをにくみ,時勢の外に生き貧困に甘んじ,終生髷(まげ)を残して旧幕府の逸民をもって任じた。詩は平淡で陸游,蘇軾らの宋詩から清詩までを愛好したが,晩年には唐詩を重んじた。著に《枕山詩鈔》《江戸名勝詩》《枕山詠物詩》《枕山先生遺稿》などがある。伝記信夫恕軒の《大沼枕山伝》,永井荷風の《下谷叢話》にくわしい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大沼枕山」の意味・わかりやすい解説

大沼枕山
おおぬまちんざん
(1818―1891)

幕末から明治初期に活躍した漢詩人。江戸・下谷(したや)の生まれ。名は厚、字(あざな)は子寿。漢詩人でもあった父を早く失い、尾張(おわり)国(愛知県)の叔父鷲津益斎(わしづえきさい)に学んだ。森春濤(しゅんとう)とも出会い、17歳で江戸に戻ったのち、持ち前の詩才を発揮、1840年(天保11)には『枕山詠物詩』を刊行。下谷御徒町(おかちまち)に詩塾下谷吟社を開き、多くの門弟を出したが、枕山自身は幕末維新の激動のなかで、時勢に距離を置きつつ詩文の世界に遊んだ。『枕山詩鈔(しょう)』全9冊(1859~67)など多数の著作を残す。益斎の子鷲津毅堂(きどう)を母方祖父にもつ永井荷風は、『下谷叢話(そうわ)』で枕山の事蹟(じせき)を追いつつ、そのひととなりを愛惜込めて描いている。

[中島国彦]

『『明治文学全集62 明治漢詩文集』(1983・筑摩書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大沼枕山」の意味・わかりやすい解説

大沼枕山
おおぬまちんざん

[生]文政1(1818).3.19. 尾張
[没]1891.10.1. 東京
江戸時代後期~明治の漢詩人。名,厚。字,子寿。初め郷里の鷲津益斎に学んだのち,江戸の菊池五山の門に遊び,詩名天下に高かった。梁川星巌 (やながわせいがん) が玉池吟社を閉じたあと,下谷吟社を設けて宋詩を鼓吹し,当時の俊秀がそのもとに集って詩壇に君臨した。宋の陸游 (りくゆう) の詩風を宗とし,特に詠物 (えいぶつ) にすぐれている。主著『枕山詩鈔』 (1859) ,『江戸名勝詩』『歴代詠史百律』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大沼枕山」の解説

大沼枕山 おおぬま-ちんざん

1818-1891 江戸後期-明治時代の漢詩人。
文化15年3月19日生まれ。幕臣大沼竹渓の子。10歳で父と死別,尾張(おわり)(愛知県)の叔父鷲津(わしづ)松隠にやしなわれる。のち江戸で梁川星巌(やながわ-せいがん)の玉池(ぎょくち)吟社に参加。嘉永(かえい)2年下谷(したや)吟社をひらき,明治にかけての漢詩壇の中心となった。明治24年10月1日死去。74歳。名は厚。字(あざな)は子寿。通称は捨吉。別号に台嶺。著作に「房山集」「江戸名勝詩」など。

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