(揖斐高)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末・明治前期の漢詩人。江戸下谷の人。名は厚,通称捨吉,枕山は号。父竹渓の死後,尾張の鷲津益斎の下におもむき,家塾有隣舎で学び,森春濤(しゆんとう)と同門であった。1849年(嘉永2)以後,下谷御徒町に居を定め,下谷吟社を興した。維新後,下谷吟社は岡本黄石の麴坊吟社,鈴木松塘の七曲吟社を圧して栄えた。この間,人々が権勢にこび名利に奔走することをにくみ,時勢の外に生き貧困に甘んじ,終生髷(まげ)を残して旧幕府の逸民をもって任じた。詩は平淡で陸游,蘇軾らの宋詩から清詩までを愛好したが,晩年には唐詩を重んじた。著に《枕山詩鈔》《江戸名勝詩》《枕山詠物詩》《枕山先生遺稿》などがある。伝記は信夫恕軒の《大沼枕山伝》,永井荷風の《下谷叢話》にくわしい。
執筆者:村山 吉広
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末から明治初期に活躍した漢詩人。江戸・下谷(したや)の生まれ。名は厚、字(あざな)は子寿。漢詩人でもあった父を早く失い、尾張(おわり)国(愛知県)の叔父鷲津益斎(わしづえきさい)に学んだ。森春濤(しゅんとう)とも出会い、17歳で江戸に戻ったのち、持ち前の詩才を発揮、1840年(天保11)には『枕山詠物詩』を刊行。下谷御徒町(おかちまち)に詩塾下谷吟社を開き、多くの門弟を出したが、枕山自身は幕末維新の激動のなかで、時勢に距離を置きつつ詩文の世界に遊んだ。『枕山詩鈔(しょう)』全9冊(1859~67)など多数の著作を残す。益斎の子鷲津毅堂(きどう)を母方の祖父にもつ永井荷風は、『下谷叢話(そうわ)』で枕山の事蹟(じせき)を追いつつ、そのひととなりを愛惜込めて描いている。
[中島国彦]
『『明治文学全集62 明治漢詩文集』(1983・筑摩書房)』
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