永利名(読み)ながとしみよう

日本歴史地名大系 「永利名」の解説

永利名
ながとしみよう

現永利町一帯に比定される。薩摩国建久図田帳には薩摩郡三五一町三反内に「永利十八町」があげられ、島津庄寄郡と注記される。名主は在庁種明(大蔵氏)地頭島津忠久であった。「宮之城記」所収の建久四年(一一九三)の薩摩国諸郡注文に、薩摩郡分六名の一として永利名があげられている。正応元年(一二八八)六月、新田宮夏越御致斎の最中に光富頼秀の母が質物があると称して永利名住人正重妻女を路次で押取る事件があり、同年八月正重と永利名主如性が訴え出ている(「新田宮雑掌申状」神代三陵志)。如性は永利氏を称し、本姓は惟宗とも推定されている。如性は元応二年(一三二〇)と元亨二年(一三二二)には永利名内山田やまだ村をめぐり、地頭島津氏らと争っている(元応二年九月二日「本田暁道請文」・元亨二年八月二二日「薩摩守護島津貞久請文案」入来院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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