中国、北宋(ほくそう)末から南宋にかけて、浙江(せっこう)省永嘉におこった学派。張横渠(ちょうおうきょ)、程頤(ていい)に私淑した許景衡(きょけいこう)、周行己(しゅうこうき)、劉安節(りゅうあんせつ)、劉安上(りゅうあんじょう)、戴述(たいじゅつ)、趙霄(ちょうしょう)、張輝(ちょうき)、沈彬老(しんひんろう)、蒋元中(しょうげんちゅう)が初期永嘉学派の九先生とよばれる。のち、鄭景望(ていけいぼう)、薛季宣(せつきせん)を経て、葉適(しょうてき)、陳傅良(ちんふりょう)に至って完成した。
この学派は、朱熹(しゅき)(朱子(しゅし))や陸象山(りくしょうざん)の理学に反対して、道は事物そのもののなかに存在し、具体的な客観事物を離れて、抽象的な道の存在はありえないとする。したがって現実を離れた空虚で煩瑣(はんさ)な議論よりも、周礼(しゅらい)の精神に学びつつ、治国安民をいかにして実現していくかに主力を注いだ。政治上における具体的な功績の追求に目的のあるところから、功利学派、事功学派ともよばれる。
[菰口 治]
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[浙江文化]
このような風土をもつ浙江には,独特の芸術や思想が生まれた。特に発展した経済を背景に,現実的な思想が尊重され,宋代の思弁的な朱子学に対し,実学をとなえた呂祖謙らの金華学派(婺学(ぶがく)),薛季宣(せつきせん)(1134‐73)らの永嘉学派,陳亮らの永康学派(総称して浙東学派という)はその代表であろう。また清代には黄宗羲,万斯同,全祖望,章学誠など,史学を重視する学風も浙東に生まれた。…
※「永嘉学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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