呂祖謙(読み)りょそけん

精選版 日本国語大辞典 「呂祖謙」の意味・読み・例文・類語

りょ‐そけん【呂祖謙】

中国南宋儒学者。字は伯恭。号は東莱。諡は成。呂本中一族で、本中に対して、小東莱という。儒学を修め、朱熹と並び称せられた。朱熹との共著近思録」のほか、「呂氏家塾読詩記」「東莱左氏博議」「東莱文集」などがある。(一一三七‐八一

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デジタル大辞泉 「呂祖謙」の意味・読み・例文・類語

りょ‐そけん【呂祖謙】

[1137~1181]中国、南宋の学者婺州ぶしゅう浙江せっこう省)の人。あざなは伯恭。号、東莱とうらい朱熹しゅき友人で、史学に通じ、空論を排した。著に朱熹と共編の「近思録」のほか「東莱左氏博議」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呂祖謙」の意味・わかりやすい解説

呂祖謙
りょそけん
(1137―1181)

中国、南宋(なんそう)の学者。婺州(ぶしゅう)(浙江(せっこう)省金華県)の人。字(あざな)は伯恭(はくきょう)、号は東莱(とうらい)、諡(おくりな)は成(せい)、のちに忠亮(ちゅうりょう)。北宋期に高官を務めた、蒙正(もうせい)(944―1011)、夷簡(いかん)(979―1044)、公弼(こうひつ)(1007―1073)、公著(1018―1089)、好問(1064―1131)を祖先にもつ恵まれた環境に育ち、林之奇(りんしき)(1112―1176)、汪応辰(おうおうしん)らに師事し、朱熹(しゅき)(朱子)、張栻(ちょうしょく)を友として広い学識を備えた。1163年進士に及第。南外宗学教授から太学博士、国史院編修官、実録院検討官と学問に関係する職に長くかかわった。1175年には朱子と陸象山(りくしょうざん)(九淵(きゅうえん))の学問の調停を図るため鵝湖(がこ)の会を主宰している。著書に『呂氏家塾読詩記』32巻、『東莱先生左氏博議』25巻、『呂東莱先生文集』40巻などがあるが、朱子との編著の『近思録』はとくに有名である。

[菰口 治 2016年2月17日]

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改訂新版 世界大百科事典 「呂祖謙」の意味・わかりやすい解説

呂祖謙 (りょそけん)
Lǚ Zǔ qiān
生没年:1137-81

中国,南宋の学者。字は伯恭,号は東萊(とうらい)。呂東萊と号をもっても知られる浙江省金華の人。その家系は,宰相をはじめ多数の高級官僚を出した宋代きっての名門である。彼は,思想的には独自な主張を打ち出さなかったが,その博学と徳望によって当時の学界の調停者として活躍した。のちに金華の地に学芸が栄えたのは,彼の耕した土壌があったからである。著書に,朱熹(しゆき)(子)と共編の《近思録》のほか,《大事記》《皇朝文鑑》《東萊博議》など膨大な仕事を残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呂祖謙」の意味・わかりやすい解説

呂祖謙
りょそけん
Lü Zu-qian

[生]紹興7(1137)
[没]淳煕8(1181)
中国,宋の儒学者。金華 (浙江省) の人。字は伯恭。東らい先生と称された。太学博士,国史院編修官などを歴任,宋の孝宗に文治,武備の充実を献言し,宰相の器と目されていたが,早逝。朱子,張しょく,陸象山らと親交,「鵞湖 (がこ) の会」を斡旋して朱,陸学の調停をしたことはよく知られている。経学に深く,『呂氏家塾読詩記』『春秋左氏伝説』『古周易』『東らい左氏博議』など著書が多い。また『宋文鑑』『重修徽宗実録』などを編集。『近思録』を朱子と共同編集。

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世界大百科事典(旧版)内の呂祖謙の言及

【近思録】より

…中国,南宋の朱熹(しゆき)が友人の呂祖謙と共に編纂した,北宋の道学(宋代に起こった新儒教)者の選集。題名は《論語》子張篇,〈博く学んで篤(あつ)く志し,切に問いて近く思う〉にもとづく。…

※「呂祖謙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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