葉適(読み)しょうてき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「葉適」の意味・わかりやすい解説

葉適(しょうてき)
しょうてき
(1150―1223)

中国、南宋(なんそう)の政治家、学者。永嘉(えいか)(浙江(せっこう)省永嘉県)の人。字(あざな)は正則、号は水心(すいしん)、諡(おくりな)は忠定という。1178年(淳煕5)進士及第。太学正、博士から累進して尚書左選郎官となり、趙汝愚(ちょうじょぐ)(1140―1196)らと寧宗(ねいそう)を擁立した。韓侂冑(かんたくちゅう)が金(きん)に敗れると、知建康府(江蘇(こうそ)省南京(ナンキン))兼沿江制置使、江淮(こうわい)制置使に昇進して金の南下を防いだが、のち弾劾されてその職を奪われた。これよりのちは官に仕えず著述に従った。古(いにしえ)より、理財に明るくない聖賢なる君臣は存在しなかったとして功利の学を主張し、また実際の事物について道理考究すべきだとした。永嘉学派の中心的人物となる。著書に『習学記言』50巻、『水心先生文集』29巻、『別集』16巻などがある。

[菰口 治 2016年2月17日]


葉適(ようてき)
ようてき

葉適

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改訂新版 世界大百科事典 「葉適」の意味・わかりやすい解説

葉適 (しょうてき)
Yè Shì
生没年:1150-1223

中国,南宋の政治家,学者。字は正則,号は水心。浙江省永嘉の人。1178年(淳煕5)に進士合格。中央と地方の官を往復したが,晩年官界を追われ郷里で著述に専念した。陳傅良(ちんふりよう)などとともにいわゆる永嘉学派の代表的人物。同時代の朱熹や陸九淵らとは異なり,その学問特色は実用性や経済性を重視する点にあった。またすぐれた政治論の書き手としても知られ《水心先生文集》29巻が現存。日本の古義学派の伊藤仁斎にも影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「葉適」の意味・わかりやすい解説

葉適
しょうてき
Ye Shi; Yeh Shih

[生]紹興20(1150)
[没]嘉定16(1223)
中国,南宋の政治家,学者。「ようてき」ともいう。浙江省永嘉県の人。字は正則。号は水心。諡は忠定。淳煕5 (1178) 年の進士。官は宝文閣待制,江淮制置使に累進したが,弾劾されて失職ののちは仕官せず著述に専念した。著書『水心文集』 (29巻) ,『学習記言』 (50巻) など。

葉適
ようてき

葉適」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の葉適の言及

【事功学派】より

…中国,南宋時代,浙江省におこった学派。婺(む)州永康県の陳亮(ちんりよう),温州永嘉県の薛季宣(せつきせん)(1134‐73),陳傅良(ちんふりよう)(1137‐1203),葉適(しようてき∥ようてき)らがその代表的学者。その出身地にちなんで永康・永嘉学派ともいい,功利学派ともいう。…

【事功学派】より

…中国,南宋時代,浙江省におこった学派。婺(む)州永康県の陳亮(ちんりよう),温州永嘉県の薛季宣(せつきせん)(1134‐73),陳傅良(ちんふりよう)(1137‐1203),葉適(しようてき∥ようてき)らがその代表的学者。その出身地にちなんで永康・永嘉学派ともいい,功利学派ともいう。…

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