浙江省(読み)セッコウショウ

デジタル大辞泉 「浙江省」の意味・読み・例文・類語

せっこう‐しょう〔セツカウシヤウ〕【浙江省】

浙江

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改訂新版 世界大百科事典 「浙江省」の意味・わかりやすい解説

浙江[省] (せっこう)
Zhè jiāng shěng

中国華中南東部の省。浙と簡称する。面積約10.2万km2。人口4593万(2000)。省域の80%は山地で,平地は北部の杭州湾沿岸(浙北平野)と,銭塘江の中流部に開ける盆地金衢盆地)が大きなもので,あとは銭塘江の支流や,霊江,甌江などの河川が山地中につくる小盆地や,海岸の湾奥に形成される小平野である。山地は,銭塘江より西に天目山地があり,安徽省との境をなす。東には会稽山,天台山,仙霞嶺,括蒼山,雁蕩山などが南西より北東に走り,福建との境をなす。いずれも最高2000mに満たない山地であるが,開析がよく進み,河川は短いが急流をなす。その中で銭塘江(多くの屈曲をもつため浙江ともいう)は省面積の半分近くを流域とする大きな河川で,その上流部と江西の信江の上流部とは,ほとんど分水嶺をつくることなく連続し,かっこうの交通路となっている。東の海岸はリアス式に入りくみ,多くの港湾を形成し,沿海部には舟山島,牛頭山,玉環島をはじめ,大小約1100の島嶼が散在する。

沿海部はモンスーン性の温暖湿潤な気候で,四季の区分もはっきりしており,梅雨もみられる。年平均気温は16~18℃,夏に内陸部はかなり高温となる。年降水量1200~1600mmであるが,南東部ほど多く,雁蕩山地では1800mmに達する。したがって森林がよく繁茂し,モウソウチクの生育にも適する。また高温多湿な斜面は,茶,果樹等の栽培にも好適である。

浙江は,北からみると,江南平野の南部を占め,大運河の終点にあたり,これより南は湿熱の山地で,中原から江南にかけての中華文明世界の南端,いわば僻遠の地の一つであった。古代に禹が群神を会稽山に集めて治水を図ったという伝説も,当時の治水を行うべき文明世界は,ここに終わるという意識を示すものであろう。したがってこの地の動向は,みずからの力によるのではなく,北方の,直接には長江(揚子江)・淮河下流地域の動向に左右された。五代の呉越国や南宋のように,この地に中心をもつ勢力が形成されたときも,北方に対して保身防御をはかるため,江南の最南の奥地に逃避していたもので,江淮(こうわい)地域に変動があるとすぐに不安定になった。むしろ江淮の一後背地としての地位を確実に果たしているときが,最も安定していたといえよう。

これとは逆に,南からみれば,浙江は中華文明世界への入口であり,それとの接触を図る場であった。華南には広州があるが,それと華中とのあいだには嶺南山地があり連続していなかったのに対し,浙江は陸路・水路ともに江南と連続していた。また同じく日本,朝鮮など東海(東シナ海)の国々からも,潮流と季節風を利用して容易に来航できる地点でもあった。

長江デルタの南岸にあたる杭州湾の北岸は,もともとは現在の海岸より約20km沖の王盤山付近にあった。しかし南北朝期以来,長江流域の開発がすすむにつれ,大量の土砂がもたらされてデルタの先端は東の海中へ伸出し,潮流の変化の結果,湾岸は浸食されて急速に後退した。一方,南岸は,一部では海岸線の後退もあったが,中心となる部分は山地からの土砂と海潮の作用で,広い沖積平野となった。また平野と山地のあいだには,ゆるやかな傾斜をもつ扇状地が形成され,森林資源の豊富な背後の山地とともに,北岸に比べてより安定した生活基盤を提供した。これに加えて,沖積平野部では水利事業が早くからすすめられ,海岸堤防の建設,湿地の干拓などが続けられた。たとえば紹興の南にある鑑湖は,後漢のとき,低湿地を安定させるために設けられた人工湖である。

この豊かな自然を基盤に,非常に早くから農耕文化が発達していた。湾の南岸中央,余姚(よよう)県の河姆渡(かぼと)遺跡は前5000-前4500年ころの長江流域で最も古い新石器時代遺跡で,水稲耕作,家畜飼育,南方特有の干闌式の住居などが確認されている。この文化は北方の黄河流域の仰韶(ぎようしよう)文化とはまったく異なったもので,当時,中原とは別の生活様式をもつすすんだ文化が発展していたことを示す。

 河姆渡文化は,他に類似の遺跡が発見されておらず,その文化の分布範囲や他の文化との関係など,不明な点も多いが,それにつづく前4500-前2000年ころにかけて,馬家浜文化(嘉興県),崧沢(すうたく)文化(上海市),良渚文化(杭州市)などと呼ばれる文化が,江蘇南部から浙江北部に展開する。これらの文化でみられる稲作,養蚕,家畜飼育などは,河姆渡文化でみられたものをより充実し複雑な姿にしたもので,長江下流域を中心にひとつのまとまった文化圏が形成されていることを示す。ほぼ同時期に,江蘇北部より山東にかけて展開する青蓮崗文化,大汶口文化とは,共通する面も多いが,性格を異にするところも多く,一定の交流はありながらも,畑作を基盤とする文化と,稲作を基盤とする文化の基本的相違がより明確になりつつあることをうかがわせる。

中原で新石器文化より青銅器文化への移行がすすみ,夏・殷・周の統一王朝が成立した時期,その影響は南方にも及んだ。南方では,江蘇南部,浙江,福建,江西など広い範囲に,表面に各種の文様を押印した土器(幾何印紋陶)が現れるが,これらの文化はおのおのの地方色をもちながらも共通する要素を多くもち,また中原からもたらされたと考えられる青銅器と共存する。すなわちこのころ,中原の影響を受けながら多様であった南方文化のあいだに相互交流が進み,ゆるやかなまとまりができていたことが考えられる。この南方文化の分布は,文献の上で越,于越,越裳,揚粤などと呼ばれる民族(百越と総称)の分布と一致し,また遺跡から発見されるものは,文献や伝承で知られる百越の文化とよく符合する。浙江においても,北方中原や,南方諸地域の文化が伝播し,豊かな生産力を基盤に政治的統一がなされつつあった。

南方に広く分布した百越諸族の中で,最も有力な勢力となったのは,杭州湾南岸の越と,長江デルタの呉であった。両地域の新石器時代文化に特に差異は認められないが,呉は中原との交流が容易な位置にあり,春秋時代に周太王の長子太伯らが文身断髪して蛮人の姿となって句呉を号したという建国の伝承にも示されるように,中原王朝からの強力な影響を受けて成立したと考えられるのに対し,越は土着的勢力が成長して成立したものであった。越が呉を越えて,楚と同一の先祖をもつという伝説は,このことと関係があろう。このような呉と越の性格の違いは,さまざまな形をとって現代に至るまで維持されている。

 越は春秋末期より戦国にかけて強大となり,特に越王句践のとき,呉と戦い中原に進出するまでに至る。しかしすぐに楚に滅ぼされ,秦に統一されると呉に中心を置いた会稽郡の一部となった。このように浙江北部は中原文化との同化がすすむが,従来の百越文化を維持するものは徐々に南下し,山間や海岸に拠点を築いた。史書で東越,閩(びん)越,山越などと呼ばれているものであり,南越(ベトナム)はその最も南下したものである。現在西南各地に居住する少数民族も,この古代の越族と密接な関係があるといわれる。

前漢の会稽郡は後漢になると呉郡と会稽郡に分かれ,後者は山陰(紹興)に治を置いて浙江以東を管轄する。この浙江によって東西に二分するのが唐代までの基本的な地域区分である。三国時代は呉に属し,南北朝を通じても,南朝の都の有力な後背地であった。唐には広く江南道に属し,次いで江南東道に属したが,節度使の管轄範囲として,浙江西(鎮海軍,治は潤州=鎮江),浙江東(鎮東軍,治は越州=紹興),福建に分かれ,のちの地域区分の萌芽がみられるとともに,浙西・浙東,あわせて両浙という呼び方がここに生まれた。

 五代になると,鎮海軍節度使であった銭鏐(せんりゆう)が,両浙の大部分を領有して呉越国を建てたが,その中心は,両浙の境をなす浙江の西岸にあり,大運河の起点でもある杭州に置かれた。このとき,杭州が西府と呼ばれたのに対し,越州は東府と呼ばれ,第2の中心であった。しかしこれを機会に両浙の要としての杭州の地位が高まり,北宋になってからも両浙路の中心が置かれ,南宋には臨安府として行在が置かれた。元には江浙行省となったが,明になると浙西の北部が南直隷として南京に属したため,浙西南部と浙東で浙江布政使の管轄となった。これが現在の浙江省の原型である。

浙江の平野は古くから稲作の発達したところであるが,南北朝期に急激に増加した江南の人口を支えるための,また隋・唐以後は全国レベルで米穀の供給を確保するための穀倉地帯として重要な位置を占めた。〈江浙実れば天下足る〉ということわざも,このことをいう。また稲ばかりでなく,麻,桑,油菜なども平野から扇状地にかけて栽培され,山地にかかる斜面では茶やミカンなどの果実も植えられ,多彩な農産物がみられた。特に茶は全国一の質量を誇り,現在も同様である。

 また東部から南部の沿海地方は,中国有数の漁場をひかえ漁業が重要な生活基盤となっている。新石器時代の遺跡からすでに漁業の存在は明らかであるが,越も〈飯稲羹魚の国〉(《史記》)として知られていた。特に黄花魚(イシモチの類)が最も多く収獲され,保存加工をほどこされて各地にもたらされた。小船を利用する漁民の活動は,非常に広範囲にわたっている。その活動の中心は寧波(ニンポー)で,温州,台州(臨海)がそれに続いた。現在でも海洋漁業では山東,福建,広東と並んで高い漁獲高をあげている。

 またこのように豊富な農産物や資源を活用した手工業も早くから発達し,越国の冶金鋳剣,呉の銅鏡鋳造をはじめ,南北朝以後,製紙(越紙),陶瓷(越州窯),醸造(紹興酒),絹織物(越羅),製茶(竜井茶)などがおこり,唐・北宋代を経て,杭州に都のあった南宋代に頂点に達した。これらは国内ばかりでなく海外に対しても,有力な交易品となり,地域経済を活発にし,都市社会を発達させた。現在でもこれらの伝統産業は,浙江の特産品として生産が続けられ,嘉興を中心とする製紙工業は全国一の生産量をもつ。また紹興酒については世界的な名酒となっている。しかし近代工業の基盤となる資源は乏しく,重工業は発展していない。

唐代より南海との交易は,広州を拠点として盛んになっていたが,北宋に入ると貿易に関する官庁である市舶提挙使司が杭州に,次いで明州(寧波)にも置かれ,官のレベルで,華中と南海とが直接交易するようになった。南宋には温州や秀州(嘉興)にも置かれ,浙江一帯はこの交易を全面的に支えることになる。これは港湾をもつ都市の商業を活発にするだけでなく,周辺の農業,手工業をも発展させ,地域経済全体に刺激を与えた。またみずから海外に拠点を求めて進出するものもあらわれた。とりわけ明州は江南全体の外港として日本・朝鮮から来航する船も加えて大いに繁栄した。したがってアヘン戦争後,すぐに開港されたが,その後,海上交易の中心は上海に移り,浙江は南海(南シナ海)・東海(東シナ海)との接点としての機能を失った。しかし,このようにして蓄積された富は,金融資本や産業資本に形を変え,上海を舞台に中国の経済を動かす大きな力となった。これを浙江財閥といい,蔣介石が勢力をもったのもこれを背景にしたからであった。

このような風土をもつ浙江には,独特の芸術や思想が生まれた。特に発展した経済を背景に,現実的な思想が尊重され,宋代の思弁的な朱子学に対し,実学をとなえた呂祖謙らの金華学派(婺学(ぶがく)),薛季宣(せつきせん)(1134-73)らの永嘉学派,陳亮らの永康学派(総称して浙東学派という)はその代表であろう。また清代には黄宗羲,万斯同,全祖望,章学誠など,史学を重視する学風も浙東に生まれた。このほか明の戴進を中心とする絵画の浙派,清の朱彝尊(しゆいそん)を中心とする文芸の浙派も著名である。

南北朝時代,南朝では南京を中心に仏教がさかんに信仰され,多くの寺院が建設されたが,浙江,特に浙東は江南仏教の一つの拠点となった。特に都市の寺院にはあきたらない厳しさを求める僧は,浙東の山地に入り寺院を建てた。天台山清国寺,天童寺,阿育王寺などがその代表であるが,南宋時代には禅宗の流行とともに,これらの寺院はいっそう多くの帰依を得て,中国仏教の中心地となった。特に浙東の寺院は日本仏教との関係が深く,唐代に最澄は天台山で学んで帰国したのち日本の天台宗開基となり,宋代には栄西が天台山,道元が天童寺で学び,日本へ禅宗を伝え日本の仏教に新しい考えをもたらし,ほかに茶も伝えた道元は天童寺とよく似た越前の山地に永平寺を建て,曹洞宗を開いた。このほかこれらの寺院に到来した日本の僧は数知れない。また舟山群島にある観音霊場普陀山の開基は,観音の聖像を五台山に得て日本へ帰国しようとして果たせなかった慧鍔(えがく)であったという。

浙江の人口は4343万(1996),人口密度は427人/km2と,3特別市(北京,天津,上海)を除く省区では,比較的高い。山地が多いにもかかわらず人口密度が高いのは,平野部においては他省より人口が集中していることを示し,都市人口比が16%と比較的低いのは,平地農村部の人口が多いためと考えられる。省都の杭州(人口590万,うち都市部141万,市域には4市3県を含む,1994),寧波,温州など10の省直轄市と1地区に分かれる。農業・工業生産の中心が北部の杭州湾沿岸平野から金衢盆地に集中しているだけでなく,交通施設や観光資源も北部に偏在し,東南部海岸地区の交通は,大部分が船舶にたより,道路の開通も不十分である。そのために,これまでは開発からとり残された地域であったが,開放政策のもとで沿海部が経済開発区となり,杭州と寧波が対外経済開放都市に指定されてより,福建,江蘇にはさまれて共に発展に向かっている。寧波,台州,温州の各市域は,東南アジア各地の華僑・華人の故郷でもあり,彼らの投資による開発も進んでいる。また江蘇と接する嘉興,湖州は,郷鎮企業の展開がめざましい地域で,その発展が全国のモデルの一つとなっている。その結果,1人当りの国内生産額で見れば,3特別市を除く省区のなかでは,江蘇とほぼ同額,広東,遼寧に次ぐ値となっている。しかし西南部の山地は依然として開発の遅れた地域で,省内の地域較差の拡大が,これから解決すべき問題である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浙江省」の意味・わかりやすい解説

浙江〔省〕
せっこう

「チョーチヤン(浙江)省」のページをご覧ください。

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