日本大百科全書(ニッポニカ) 「永州八記」の意味・わかりやすい解説
永州八記
えいしゅうはっき
中国、唐代の柳宗元(りゅうそうげん)の書いた8編の山水遊行の文。彼の加わった「貞元(ていげん)の改革」(805)が失敗して、永州(湖南省零陵)の司馬に流され、その10年の永州在任中に書いたもの。当時、中国南方の地は都の人々からは瘴癘(しょうれい)(熱病をおこす毒気)の僻地(へきち)と恐れ嫌われており、彼も初めはその地を嫌悪して絶望と悲嘆のなかにあったが、しだいにそこから脱却して、その地の山水に美しさをみいだしていった。その心の想いを、風景描写に融合させて、詩情あふれるみごとな文章とした。柳宗元が韓愈(かんゆ)とともに提唱した古文の文体で書かれており、古来、遊行文の模範とされる。「始めて西山を得て宴遊する記」など4編(809)と「袁家渇(えんかかつ)の記」(812)など4編からなる。
[中島敏夫]
『横山伊勢雄訳『中国の古典30 唐宋八家文 上』(1982・学習研究社)』