永秀女王(読み)えいしゅうじょおう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永秀女王」の解説

永秀女王 えいしゅうじょおう

1678*-1725 江戸時代前期-中期,霊元天皇皇女
延宝5年閏(うるう)12月5日生まれ。母は敬法門院貞享(じょうきょう)5年京都大聖寺で出家。宝永4年紫衣(しえ)をさずけられ,景愛寺住職となった。享保(きょうほう)10年7月5日死去。49歳。幼称は重宮,友宮。号は勝光明院

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367日誕生日大事典 「永秀女王」の解説

永秀女王 (えいしゅうじょおう)

生年月日:1677年12月5日
江戸時代中期の女性。霊元天皇の第5皇女
1725年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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