敬法門院(読み)けいほうもんいん

朝日日本歴史人物事典 「敬法門院」の解説

敬法門院

没年享保17.8.30(1732.10.18)
生年:明暦3.12.30(1658.2.2)
江戸前・中期后妃東山天皇生母。松木宗条の娘。母は河鰭其秀の娘秀子。名は宗子霊元天皇後宮勤仕。当初は朝夕陪膳などを行っていたという。のち大納言典侍と称した。福子内親王(伏見宮邦永親王御息所),東山天皇,文仁親王らを儲ける。元禄2(1689)年准后となる。霊元上皇の寵妃で,武家伝奏議奏の人事など政治向きに干渉し,朝廷内の確執の一原因となった。東山天皇,文仁親王が相ついで没したのちの正徳1(1711)年大聖寺宮で俄かに出家。約2カ月後に院号宣下を受けて,敬法門院と称した。墓所は京都清浄華院。

(久保貴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「敬法門院」の解説

敬法門院 けいほうもんいん

1658*-1732 江戸時代前期-中期,霊元天皇の妃。
明暦3年12月30日生まれ。内大臣中御門宗条の娘。東山天皇,福子内親王らの生母。元禄(げんろく)2年(1689)准三宮(じゅさんぐう)となり,正徳(しょうとく)元年(1711)院号をうけた。享保(きょうほう)17年8月30日死去。76歳。名は宗子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「敬法門院」の解説

敬法門院 (けいほうもんいん)

生年月日:1657年12月30日
江戸時代前期;中期の女性。霊元天皇の宮人
1732年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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