朝日日本歴史人物事典 「敬法門院」の解説
敬法門院
生年:明暦3.12.30(1658.2.2)
江戸前・中期の后妃。東山天皇の生母。松木宗条の娘。母は河鰭其秀の娘秀子。名は宗子。霊元天皇の後宮に勤仕。当初は朝夕の陪膳などを行っていたという。のち大納言典侍と称した。福子内親王(伏見宮邦永親王御息所),東山天皇,文仁親王らを儲ける。元禄2(1689)年准后となる。霊元上皇の寵妃で,武家伝奏・議奏の人事など政治向きに干渉し,朝廷内の確執の一原因となった。東山天皇,文仁親王が相ついで没したのちの正徳1(1711)年大聖寺宮で俄かに出家。約2カ月後に院号宣下を受けて,敬法門院と称した。墓所は京都清浄華院。
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報