江尻浦(読み)えじりうら

日本歴史地名大系 「江尻浦」の解説

江尻浦
えじりうら

[現在地名]西淡町松帆江尻まつほえじり

北方きたがた村の西、塩浜しおはま村の北、古津路こつろ村の東に位置し、倭文しとおり川が三原川に合流する地点で、播磨灘の潮は三原川河口から当地まで差込む。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録にみえる「ひがしこつろ」は当地に比定され(三原郡史)、高一七〇石が羽柴秀吉の蔵入地となっていた。正保国絵図に江尻浦とみえ、高五二〇石余。天保郷帳では高六一七石余。反別戸数取調書では反別五〇町三反余、高六四四石余は蔵入地。家数一三〇・人数五二〇、加子役二七人半を課されていた。塩浜組に所属。江戸後期、阿波徳島藩の御用加子役二八人半を負担した(「安宅御用向御両国浦々加子数書付并須本自然加子共」岩村家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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