江持村(読み)えもちむら

日本歴史地名大系 「江持村」の解説

江持村
えもちむら

[現在地名]須賀川市江持・あおば町(ちよう)

下宿(しもじゆく)村の東、阿武隈川東岸の狭小な氾濫原と背後の台地に立地。同川の対岸で釈迦堂(しやかどう)川が合流する。集落は台地南斜面に並ぶ。村名は当地に来た大伴家持の名の転訛(「江持村村誌」須賀川市史資料)とか、鉱滓の出土地であるので鋳物師に由来するなどといわれる(須賀川市史)。守山(もりやま)村(現郡山市)との村境一帯は柄久野(からくの)(唐久野)原という原野で、観応三年(一三五二)一〇月一一日の吉良貞家感状(秋田藩家蔵文書)などに「唐久野」「柄久野原」とみえ、同年七月三日足利尊氏方の吉良貞家率いる石河・結城・伊賀・国魂氏らが当地において南朝方の北畠顕信らを攻撃、これを破っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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