江浦町村(読み)えのうらまちむら

日本歴史地名大系 「江浦町村」の解説

江浦町村
えのうらまちむら

[現在地名]高田町江浦町

矢部やべ川下流左岸にあり、三池郡に属する。北は山門やまと堀切ほりきり(現瀬高町)中世には南隣の江浦村とともに江浦(江浦村)を構成し、近世初頭までは矢部川の河口津に位置していた。戦国時代末期に江浦村は大友氏の重臣吉弘鎮理(宗仭)知行地であったが、天正四年(一五七六)三月田尻宗達が銀三貫目で請負った(三月一日「宗仭書状」・天正四年三月二日「都甲理幸・綾部理昌連署起請文」田尻家文書/佐賀県史料集成七)。しかし同七年六月一日には龍造寺氏に属した田尻鑑種に同氏から「江ノ浦上下」六六町が与えられた(「龍造寺隆信・同鎮賢連署判物」同上)。同一〇年以降鑑種は龍造寺氏から離反したが、同二年末に居城鷹尾たかお(現大和町)を攻め落とされ、筑後の所領を失い肥前に転封となった。同一二年九月二九日には龍造寺軍に従って沖田畷おきたなわて(現長崎県島原市)での合戦で討死した田尻了哲の功により、その子彦七郎に江浦三三町が与えられた(「龍造寺政家判物」同上)。天正一五年三池郡を宛行われた高橋統増(立花直次)は江浦城を居城に定め入部した(南筑明覧)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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