日本歴史地名大系 「柳川城下」の解説
柳川城下
やながわじようか
〔城下の形成〕
戦国期に蒲池氏が柳川城に在城していた頃も町場が存在していたと考えられるが、本格的な城下町の形成は天正一五年(一五八七)立花統虎(のち宗茂)が柳川を城地に定めて以降であろう。しかし慶長五年(一六〇〇)一一月の宗茂改易とともにいったん頓挫した。宗茂改易後筑後一国を与えられて柳川に入部した田中吉政は柳川城に大規模な修築を加え、併せて城下の整備も進んだものと考えられる。元和六年(一六二〇)田中氏が無嗣断絶により改易されると、立花宗茂が一〇万石余を与えられて柳川に再入部し、以後柳川藩立花氏の城下として幕末に至った。田中氏時代に城内にあった寺社が郭外に移されていること、元来
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報