江見庄(読み)えみのしよう

日本歴史地名大系 「江見庄」の解説

江見庄
えみのしよう

「和名抄」英多(あいた)郡江見郷の郷名を継ぐものか。吉野(よしの)川左岸の江見を遺称地とし、史料上に神庭(かんば)(現美作町)、吉田(よしだ)・世戸(せと)・岩辺(いわなべ)などがみえるので、庄域は美作町の吉野川左岸一帯から作東町の吉野川流域一帯に推定される。寿永三年(一一八四)八月二六日、後白河院領であった当庄は粟田(あわた)神社(現京都市東山区)に寄進された(「後白河上皇院宣写」天理図書館蔵)。永仁三年(一二九五)四月二二日の記録所注進状(壬生家文書)によると引続き同社領であったが、庄内世戸村をめぐり兼淳宿禰と実種朝臣が争い、ともにその支証の信憑性が問われ、偽書であれば建治二年(一二七六)の兼佐宿禰の譲状に任せ兼佐の孫女に譲るかと議されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む