朝日日本歴史人物事典 「池内蔵太」の解説
池内蔵太
生年:天保12(1841)
幕末の土佐(高知)藩士,尊攘活動家。名は定勝,通称内蔵太,変名は細川左馬之助,細江徳太郎。高知城下に生まれる。文久1(1861)年江戸に出て安井息軒に入門,同郷の武市瑞山らと親交し,土佐勤王党結成に参画。3年,因循な藩政に憤慨し脱藩,長州に走り下関外国船砲撃,大和天誅組の挙兵に参加,元治1(1864)年の長州藩の京都進軍に従軍奮闘,その後は坂本竜馬の海援隊に加わり薩長提携の周旋に関与,慶応2(1866)年5月,長崎から鹿児島へ航海中暴風雨で遭難死した。同輩中島信行は,坂本遭難ののちまで存命したならば人望は彼に集まり海援隊の首領になる可能性は高かった,と語った。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報