池田分(読み)いけだぶん

日本歴史地名大系 「池田分」の解説

池田分
いけだぶん

大村の北部を占める通称名、または大村領の行政単位。久原くばら分との境を内田うちだ川、その北側を大上戸だいじようご川が流れる。東三城ひがしさんじよう町・西三城町・水主かこ町の一帯にはN四〇度Wの方位に約一六の坪数が確認され、大上戸川条里とよばれる。江戸時代は大村藩領の地方じかた地区に属する。大村のうちで、久原分とともに大村城下の敷地となった。天保郷帳などに記載はないが、「大村郷村記」では大村のうち池田分とみえ、地内に宝庫野ほうこの村がある。慶長四年(一五九九)の大村城下の建設に伴いおもに町人屋敷地が造成された。武家屋敷を主体とする久原分との境界は大上戸川で、貞享五年(一六八八)に変更、草場くさば(現内田川)の北側が池田分とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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