日本歴史地名大系 「久原分」の解説 久原分くばらぶん 長崎県:大村市大村久原分大村の南東部を占める通称名、または大村領の行政単位。内田(うちだ)川と針尾(はりお)川に挟まれて立地する。江戸時代は大村藩領地方(じかた)地区に属する。大村のうちで、池田(いけだ)分とともに大村城下の敷地となった。天保郷帳などに記載はないが、「大村郷村記」では大村のうち久原分とみえる。慶長四年(一五九九)の大村城下の建設に伴い武家屋敷などが造成された。町人屋敷地を主体とする池田分との境界は大上戸(だいじようご)川であったが、貞享五年(一六八八)草場(くさば)川(現内田川)の南側が当地域とされた。町屋敷分は二町五反余で、城下町域の外延部には農地が広がっていた(同書)。一六一九年(元和五年)パードレのナバレテに随伴して大村に赴いたパウロ・ナガイシ、ディエゴ、ジョアキンらは捕縛されて、「コバラの村」に移され、酷暑のなか通風のない一茅屋に一六人ともに幽閉され、ほとんど食物も与えられなかったという(パジェス「日本切支丹宗門史」)。元和八年のドミニコ会宛の大村ロザリオ組中キリシタン連判書付に「くばら村」の「松本うるすら」が署名している。地内の与崎(よざき)にある焔硝蔵はもと城内の南郭にあったが、貞享三年島崎(しまざき)に、文化五年(一八〇八)与崎に移るなど転々とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by