コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

池田茂政 いけだ もちまさ

美術人名辞典の解説

池田茂政

幕末・維新期の大名。備前岡山藩主。水戸藩主徳川斉昭の九男、徳川慶喜の弟。幼名は九郎麿、初名は昭休・修政、号は楽山。池田慶政養嗣子となり、下級藩士の登用や近代的な軍備の整備に努めた。尊王攘夷の立場をとり、維新後、弾正大弼を努めた。能楽復興に努め、和歌を能くした。明治32年(1899)歿、61才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池田茂政 いけだ-もちまさ

1839-1899 幕末の大名。
天保(てんぽう)10年10月11日生まれ。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の9男。徳川慶喜(よしのぶ)の弟。池田慶政(よしまさ)の養子。文久3年備前岡山藩主池田家9代となる。尊攘(そんじょう)の立場から長州攻めに反対し,名目上の出兵をした。慶喜追討命令で苦境にたち,慶応4年病気を理由に支藩池田章政に家督をゆずった。明治32年12月12日死去。61歳。号は楽山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

池田茂政

没年:明治32.12.12(1899)
生年:天保10.10.11(1839.11.16)
幕末の岡山藩主。父は水戸藩主徳川斉昭。江戸幕府第15代将軍徳川慶喜と浜田藩主松平武聡は実弟,鳥取藩主池田慶徳は実兄。幼名は九郎麿,雅号は楽山。文久3(1863)年池田慶政の養子となり,将軍徳川家茂の偏諱を賜わり茂政と改名した。藩政においては下級藩士の登用や近代的な軍備の整備に努めた。幕末の政局に際しては尊王攘夷の立場をとったが,朝幕間の板挟みとなって苦心した。攘夷親征の猶予を奏請する一方,長州征討には反対している。鳥羽・伏見の戦の勃発に際し引退して鴨方支藩(岡山県)藩主池田政詮(のち章政)を養子に迎えた。維新後,弾正台大弼を務め引退後は能楽復興に努めた。<参考文献>衣笠健雄『史談会速記録407 池田茂政公事歴』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の池田茂政の言及

【岡山藩】より

…備前国(岡山県)岡山に藩庁を置いた外様大藩。歴代藩主は池田氏で,備前一国28万9000石と備中領分2万6000石を合わせて31万5000石を領知した。戦国大名宇喜多秀家が関ヶ原の戦で没落し,代わって入城した小早川秀秋も,1602年(慶長7)卒去し無嗣のため断絶した。宇喜多・小早川両氏とも備前・美作両国などで約50万石を領したが,その末路は悲運であった。03年岡山城主になった池田忠継(姫路城主池田輝政の次男)以降,12代268年にわたって池田氏による領知が廃藩までつづいた。…

※「池田茂政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

池田茂政の関連キーワード牧野権六郎平賀元義岸本芳秀浅野長勲成田太郎江見鋭馬日置帯刀鴨方藩